うすることもできない。
 あまりのことに、妹も半信半疑で、
「兄さん、ほんとに、何か、変なこと、したんじゃないの」
「バカぬかせ。あいつ、何か言ったのか」
「いゝえ、問いつめてみても、返答しないんです」
「あたりまえだ。ありもしないこと、言える筈がないにきまってる」
「だって、益々変よ。ちかごろは、お風呂へはいるとき、内側からカギをかけるのよ。ねる時も、女中部屋の障子にシンバリ棒をかけるんです。一方だけシンバリ棒をかけたって、一方の障子があくのに、バカな子ね。でも、そんな要心たゞ事じゃないでしょう。そのくせ、じゃア、私のお部屋へ寝にいらっしゃいと云っても、来ないのよ」
「それみろ。あいつはヒネクレ根性の、悪党なんだ。あんな不潔な、可愛げのない奴、追いだしてしまえ」
 けれども、妹はまだトン子さんに信用おいて、兄貴の方の疑いは、内々すてることができないのである。
 私の方は相も変らず郵便の時間がくると、ソワ/\落付かない。おトンちゃんのことなど気兼ねしていられないから、便所へ立ったり、水をのみに行ったり。ある日、また、折よくその途中に郵便配達夫の影を認めた。
 さっそく玄関から出ようとする、とたんにサッと飛びだしてきてヒラリと私をすりぬけたのは、申すまでもなくおトンちゃん、もう私なんか目もくれず、下駄をはこうとするから、
「コラッ!」
 私は大喝して、夢中であった。逆上して、とびかゝって、おトンちゃんの襟首をつかむ、然し、私は落付いていた。私は大男であり、先方は小柄の女だから、襟首をつかまえれば、それまでのことだと思ったからだ。
 襟首を握った私の手は、とたんに宙をぶらぶらした。おトンちゃんは振りはらい、手の下をくゞり、扉を蹴るようにあけて、ハダシで一直線に郵便箱へ走っていた。
 たゞごとではない。私は妹に云った。
「これは意地強情とか、ヒネクレ根性というだけじゃないよ。あいつ、男があるんだよ。男の便りを待ってるのだろう」
「じゃア、兄さんとおんなじじゃないの。ころあいのサヤアテでしょう。それにしても、熱病患者の兄さんが敗北するとは、おトンちゃんの情熱は凄いわね」
 妹も、どうやら、おトンちゃんの恋人説を信じたようだ。
 どんな人? いくつ? ショウバイは? どこにいる人? それとなくきいてみるが、返答しない。
「きっと、深いワケがあるのよ」
「なぜ」
「あの沈鬱、たゞごとじゃないわ。だから、たとえば、その恋人は、刑務所かなんかに居るんじゃないかしら」
「ふうむ」
 これも、一説である。
 すると、妹は、もう、それにきめてしまった。名察に気をよくして、益々おトンちゃんをいたわり、ヒイキに、可愛がってやっていた。

          ★

 私は五十日ほど旅行にでた。風流な旅行ではなかった。
 帰ってみると、母と妹はそのまゝだが、近所の農家の娘が手伝いに来ており、おトンちゃんの姿がない。
「おトンちゃん、どうした」
 ときくと、食事を途中にして、妹は急にサッと顔色を変え、苛々と癇癪の相をあらわし、プイと立って、どこかへ行ってしまった。
「十日ほど前、ヒマをだしたよ」
 と、母が説明した。
 不思議な噂が、その日、妹の耳にはいったのである。おトンちゃんが近所へ言いふらしているというのだ。あそこの兄さんは良い人だけれども、妹の方は鬼のような人だ。私を苦しめて、よろこんでいる。あんな鬼のような女の家にはいたくない。どこか、ほかに、つとめたい。
 妹は驚いて、直に調査にかゝった。近所を一々きいて廻ると、たしかに事実である。妹はまさしく鬼になって、戻ってきた。
 妹はおトンちゃんを呼びつけて面詰した。
「これほど可愛がってあげているのに、恩を仇で返すとは、何事です」
 その見幕の凄いこと、母は笑って私を見つめて、
「凄いの、なんの。驚いたよ。あんな、おとなしいのが、よくまア、あんなに、怒れたものだよ。不思議なものだね。呆れたね」
 と、大感服しているのである。
 今すぐ出て行きなさい、と云って、一分とユーヨを与えず、目の前で荷造りさせて、そくざに追放してしまった。アッという間のことで、おトンちゃんは終始一貫、返答ひとつしなかったそうだ。
 なるほど、不思議な話だ。
 妹が鬼のようだとは、たしかにワケが分らない。そのうえ、私は良い人だとくる。これ又、奇々怪々。
 これを娘心の謎というか。私はよい気持である。だから、妹は私を見ると、ふくれるばかり、しばらくは全然話を交そうともしない。
 しばらく日数がすぎて、妹の気持もまぎれたころだ。
 世間話のうちに、ふと、おトンちゃんのことを思いだして、
「あの子、おかしいのよ」
「なにが」
「あの子はね、新聞や雑誌の広告を見て、いろんな毛はえ薬を買っていたのよ。奈良だの、大阪だの、姫路だの、岡山だのと、
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