日の丸をふってでてくる田舎娘にモシモシなどゝ言い寄るのはキマリが悪いから、私も迷惑していたが、先方は私以上に迷惑であったらしく、日の丸をクルクル棒にまいて、帯の間へ押しこんで、たった一寸ばかりフトコロから顔をだしているばかりであるから、危く見逃すところであった。
通りすぎるのを、追っかけて、フトコロの品物を見定めて、モシモシ、トン子さんですか、ときく、シャクレた顔をツンとソッポをむけて、そうだという意味を表現した。
私は前後四五人の女中を、こうして駅頭へ迎えたけれども、私がそれと目印を見破ってモシモシと話しかけると、ハイ、そうです、などゝ返事をする娘のいたタメシがない。うなずいたり、うなだれたり、するだけだ。それに、みんな言い合したように、待つ人のいることなど念頭にないように、ワキメもふらず、スタスタ歩いて改札を出て行くのである。トン子さんもワキメもふらずスタスタ通りすぎて行ったが、ツンとソッポをむいて、そうだという意味を表現したのは、この御一方だけであった。
日の丸をキリキリまいて、フトコロへ押しこんで、一寸だけのぞかせたタシナミと云い、ソッポをむいた気合いと云い、たゞの田舎娘の意気じゃない。
トン子さんは不幸な娘であった。田舎の小学校の校長先生の娘であるが、母親が死んでママ母がきた。ママ母にたくさん子供ができて、ママ母と折合いが悪い。家出をしたこともある。ウチにいたくないので、女工になったこともある。然し、女工はお行儀が悪くなるから、と校長先生が心配して、うちの女中に、校長先生から頼みこんできたのだそうだ。
だから、いつもくるような田舎娘の女中と違って、いくらか都会風である。女工らしいところがある。目つきが鋭く、陰鬱であった。
シャクレた顔であった。小柄で、やせて、敏活そうであったが、無口である。然し、キテンはきく。仕事の要領がよくて、ジンソクである。たゞ、誰にも無愛想であったが、水商売のウチとちがって、それで困るということもない。
そのころ、私と一しょに妹がいた。妹は平凡な家庭婦人の生れつきで、どういうわけだか、トン子さんが甚しく気に召したようである。
小学校の校長先生の娘で、ママ母に苦しんだ不幸な身の上ということなどが、先ず第一に極めて人情と好意にみちた受けいれ態勢をとゝのえさせていたものだろう。
私の目には、誰よりもイヤらしい女中に見
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