、ぬけるぜ。あんときは、いゝ医者へ行かなくっちゃアいけないよ。治療が長びいてネ。入れ歯をすると、餅にくッついて、いけないネエ。年だなア。君も、そろそろ、はじまるころだ」
私といくつも違わない年下の方が、こっちの方は、かたくなに私の方を同類から締めだす。同人雑誌の会などへ出ると、
「どうぞ。お年寄、こちら。床の間へ」
「おい、ふざけるな。君と、いくつ、違うんだ」
「いえ、わかってます。そんなに気になるもんですか。ふうむ」
と、急に敬語などを使って、区別を立てゝみせる。卑怯である。三十九のくせに、三十代。バカ云え。なにも十で区切らなければならないという規則はない。二十五から三十五、四十五。
「アハハ。そんなのないよ」
なにが、ないことがあるものか。なんでも、ある。彼等はバカである。論理性がないのである。二十五で区切る。二十五から五十まで。みろ、みんな、一しょじゃないか。
然し、先日、街で三人の知りあいのパンパン嬢にあい、ゴハンたべさして、と云うので、食堂へ行く。パンパン嬢、お礼の寸志か、私の髪をくしけずってくれる。半年以上も床屋へ行かず、自分でハサミできってるという頭で、クシなど使うタメシのない頭だから、かんべんしてくれ、と云っても、嘘だと思ってとりあわない。三人で私の頭をオモチャにして、そして口うるさいガサツ娘が、三人ながら、ハゲのハの字も言わなかった。ハゲているのが当然というお見立てによるのであろうが、これは、深刻なものである。
名古屋医大へハゲ退治にでかけるという泰三画伯は、つまり、人生がまだ花であるというシルシであろう。オヤ、ハゲましたね、などゝ言われるうちは花なのである。毛が生えなくとも、悲しむべからず。
★
むかし、私の家にいた女中の話である。名はなんと云ったか、忘れたが、トン子さんとよんでおこう。二十一である。
何日何時、上野駅へつくというから、私が出迎えに行った。郷里の方から送ってよこすのだから、先方もこっちも身元がハッキリしているから、親などはついてこない。然し、顔を知らないから、目印を持たせてよこす。たいがい季節の花などを胸につけたりしてくるのを、私が改札にガンバッていて、見破って、つれてくるのである。
トン子さんの時は、たぶん冬で花がなかったのかも知れない。日の丸の旗を目印に持たせてよこすという通知であった。
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