ゞごとじゃないわ。だから、たとえば、その恋人は、刑務所かなんかに居るんじゃないかしら」
「ふうむ」
これも、一説である。
すると、妹は、もう、それにきめてしまった。名察に気をよくして、益々おトンちゃんをいたわり、ヒイキに、可愛がってやっていた。
★
私は五十日ほど旅行にでた。風流な旅行ではなかった。
帰ってみると、母と妹はそのまゝだが、近所の農家の娘が手伝いに来ており、おトンちゃんの姿がない。
「おトンちゃん、どうした」
ときくと、食事を途中にして、妹は急にサッと顔色を変え、苛々と癇癪の相をあらわし、プイと立って、どこかへ行ってしまった。
「十日ほど前、ヒマをだしたよ」
と、母が説明した。
不思議な噂が、その日、妹の耳にはいったのである。おトンちゃんが近所へ言いふらしているというのだ。あそこの兄さんは良い人だけれども、妹の方は鬼のような人だ。私を苦しめて、よろこんでいる。あんな鬼のような女の家にはいたくない。どこか、ほかに、つとめたい。
妹は驚いて、直に調査にかゝった。近所を一々きいて廻ると、たしかに事実である。妹はまさしく鬼になって、戻ってきた。
妹はおトンちゃんを呼びつけて面詰した。
「これほど可愛がってあげているのに、恩を仇で返すとは、何事です」
その見幕の凄いこと、母は笑って私を見つめて、
「凄いの、なんの。驚いたよ。あんな、おとなしいのが、よくまア、あんなに、怒れたものだよ。不思議なものだね。呆れたね」
と、大感服しているのである。
今すぐ出て行きなさい、と云って、一分とユーヨを与えず、目の前で荷造りさせて、そくざに追放してしまった。アッという間のことで、おトンちゃんは終始一貫、返答ひとつしなかったそうだ。
なるほど、不思議な話だ。
妹が鬼のようだとは、たしかにワケが分らない。そのうえ、私は良い人だとくる。これ又、奇々怪々。
これを娘心の謎というか。私はよい気持である。だから、妹は私を見ると、ふくれるばかり、しばらくは全然話を交そうともしない。
しばらく日数がすぎて、妹の気持もまぎれたころだ。
世間話のうちに、ふと、おトンちゃんのことを思いだして、
「あの子、おかしいのよ」
「なにが」
「あの子はね、新聞や雑誌の広告を見て、いろんな毛はえ薬を買っていたのよ。奈良だの、大阪だの、姫路だの、岡山だのと、
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