の頃の考へは今も尚変らないばかりでなく、芭蕉の風流を憎む気持は愈々熾烈の度を加へるばかりのやうです。
 私はやはり、人間の感情に対する新らしい批判の確立、憎しみや愛や悲しみ怒りを最も厳格に追求することによつて、神によつて許さるるとも我によつては許されず、神によつて許されじとも我によつては許さるる底の、生命の道徳を確立するためのほかに、小説を書く勇気はありません。
 東洋的な諦らめと悟り、これほどちかごろ癪にさわるものはない。つづいて、之に対する軽卒な反抗、つまり殆んど追求といふことをせずに、軽々しく怒り、歎き、悲しみ、喜び、自殺するところの無批判的な自己惑溺、これも亦《また》、ややともすれば小生の陥り易いところであつて、同様癪にさわらざるを得ぬ一敵国であります。
 まことに真剣な情熱といふものは、必然的に最も利己的なものであります。その間《かん》、日本人の如く、軽々しく他人の立場を計量し思惑を働かせて、同情し、寛大となり、諦らめ、いい加減のところでヒラリと利他的な安手な悟りへ身を飜すべき不誠実さは許さるべきでありますまい。必ず一応は利己一点ばりに追求の極地へまで追ひつめ、その底に行きど
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