無題
坂口安吾
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)草鞋《わらじ》
−−
K君。
御便り越中魚津の貧乏寺にて拝読。当所は旧友の今は行ひすました草庵であります。八月一杯滞在。九月にこの坊主の紹介で黒部山中の酒造家へ草鞋《わらじ》をぬぐ予定です。頃しも酒のなんとやらいふ季節でありますが、さういへば流浪の餞別にと君から貰つた酒盃、君の店で最も高価な珍器といふ御自讃であつたが、坊主の意見によれば名古屋製のまがひ物の由、黒部山中の清酒にはちと向きかねるといふ辛辣な眼識でありました。
さて、紀元よりの課題の件、改まつてどういふことを五枚の原稿紙に書きつらねていいやら、とんと見当がつかない。君の文面も至極曖昧、あれを言ふかと思へば忽ちこれをいふ底《てい》の甚だ妖気漂ふ依頼状であつてみれば、当方では、小説の面白さに就て書くのやら小説は面白くないに極つてゐるといふ異体《えたい》の知れない忿懣に就て感慨を洩して然るべきものであるやら、判読のつきやう筈のものではない。
流浪直前、バンヂャマン・コンスタンの「アドルフ」について、一頻り私は君と語り明かした幾夜をもつたが、あの頃の考へは今も尚変らないばかりでなく、芭蕉の風流を憎む気持は愈々熾烈の度を加へるばかりのやうです。
私はやはり、人間の感情に対する新らしい批判の確立、憎しみや愛や悲しみ怒りを最も厳格に追求することによつて、神によつて許さるるとも我によつては許されず、神によつて許されじとも我によつては許さるる底の、生命の道徳を確立するためのほかに、小説を書く勇気はありません。
東洋的な諦らめと悟り、これほどちかごろ癪にさわるものはない。つづいて、之に対する軽卒な反抗、つまり殆んど追求といふことをせずに、軽々しく怒り、歎き、悲しみ、喜び、自殺するところの無批判的な自己惑溺、これも亦《また》、ややともすれば小生の陥り易いところであつて、同様癪にさわらざるを得ぬ一敵国であります。
まことに真剣な情熱といふものは、必然的に最も利己的なものであります。その間《かん》、日本人の如く、軽々しく他人の立場を計量し思惑を働かせて、同情し、寛大となり、諦らめ、いい加減のところでヒラリと利他的な安手な悟りへ身を飜すべき不誠実さは許さるべきでありますまい。必ず一応は利己一点ばりに追求の極地へまで追ひつめ、その底に行きど
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング