と称し、そこに見られる文学精神とか精進とか、要するに過去の複写の図式を如何に真実めかすか、垢ぬけさせるか、ということだ。恋愛とか情痴とか時に肉体を描きながら、それを世俗的罪悪感によつて反撥の余地のない垢ぬけしたものに仕上げる。そういう最も職人的な技法だけが彼等のオルソドックスであつた。
彼等の技法は常にその眼が過去に向けられ、未来に向けられることがない。過去とは常に一私人の行為に限定せられるものであるが、それを称して「実人生」という。その実人生の真実を文学の本質とし、オルソドックスと心得ている。
然し、まことの文学は、常に、眼が未来へ向けられ、むしろ、未来に対してのみ、その眼が定着せらるべきものだ。未来に向けて定着せられた眼が過去にレンズを合せた時に、始めて過去が文学的に再生し得るのであつて、単なる過去の複写の如きは作文以外の意味はない。枯淡の風格、秋声の「縮図」の如き、作文技法の典型以外に意味はない。
眼が未来に定着せられた文学には、過去的実人生の真実は必ずしも真実ではない。過去とは、すでに行われたるものであり、その意味において不変であることによつてのみ、ウソをついておらぬだけ
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