残る」と確信し、その時期が来たら、生き残るためのあらゆる努力を試みるのだと力み返つてゐる。これほど力みはしなかつたが平野謙もその考へであり、佐々木基一もさうで、彼はいち早く女と山奥の温泉へ逃げた。つまり「近代文学」の連中はあの頃から生き残る計画をたて今日を考へてをつたので、手廻しだけは相当なものであるが、現実の生活力が不足で、却々《なかなか》予定通りに行かない。手廻しの悪い人間でも、現実に対処する生活力といふものは、知識と別で、我々文学者などゝいふものはイザとなると駄目なものだ。蒲田が一挙に何万といふ強制疎開のときは箪笥が二十円で売られたもので、これを私からきいた荒正人はすぐにも蒲田へ駈けつけて箪笥を買ひたさうな顔だつた。つまり彼は生き残る確信に於て猪の鼻息のやうに荒かつた。
私には全くこの鼻息はなかつた。私は先見の明がなかつたので、尤も私は生れつき前途に計画を立てることの稀薄なたちで、現実に於て遊ぶことを事とする男であり、窮すれば通ず、といふだらしない信条によつて生きつゞけてきたものであつた。佐々木君や荒君は思想犯で警察のブタバコ暮しを余儀なくされて出てきたばかりであつたから、生きぬいて自分の世界をつくりたいといふ希願が激しいのは当然でもあり、荒君は「石にかぢりついても」どんな卑劣な見苦しいことをしてでも必ず生き残つてみせるのだと満々たる自信をもつて叫んでゐた。荒君は元来何事によらず力みかへつてしか物の言へないたちなのだが、空襲の頃から特別力みだしたのは面白い。空襲に吠える動物の感じで、然しあんまり凄味のある猛獣ではなささうで、取りすまして空襲を見物してゐる私自身の方がよつぽどたちの悪い、毒性のある動物のやうな気がしてゐた。
平野謙が兵隊にとられたのもその頃のことで、彼も亦どんなことをしても玉砕しないで生きて帰つてくるよと育つてゐたが、私が彼を東京駅前で見送つて、くだらん小説を読むより戦争に行く方が案外面白いぜ、と言つたら、人のことだと思つて! と横ッ腹をこづかれた。尤も彼は要領よく軍医をごまかして十日目ぐらゐで兵営から放免されてきた。
ともかく彼等はそのころから言ひ合して敗戦後の焦土の日本でどんな手段を弄し奇策悪策を弄してでも生き残つて発言権をもつ立場に立たうといふことを考へてゐたやうである。尤も彼等は特に意識的にそれを言つてゐるだけで、国民酒場に行列して
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