ある。なぜなら、悪魔には、希望がなくて、目的がないのだ。悪魔は女を愛すが、そのとき、女を愛すだけである。目的らしいものがあるとすれば、破壊を愛してゐるだけのことだ。
私は美しいものは好きである。あるとき食堂の前で行列してゐたら工場からの帰りの上品なお嬢さんが「食券がいるのでせうか」と私にきいた。戦争といふものがなければこんな苦しみを知る筈のない娘であつた。私は困惑する娘に食券を渡して逃げてきたが、私は時々かういふオッチョコチョイなことをやる。何も同情する必要はないではないか。一人の人への同情は不合理なものであり、一人の人へ向けられる愛情は男と女の二人だけの生活のためにのみ向けられるべきである筈である。さもなければ、あらゆる女に食券をやるべきだ。あの可愛い娘は空襲で死んだかも知れず、淫売になつたかも知れない。それはあの娘自体が自らやりとげ裁かねばならぬ自分だけの人生なので、私の生活とその人の生活と重なり合ふものでない限り、路傍の人であるのが当然で、キザな同情などは止した方がよろしいのだ。気の毒なのは人間全部で、どこに軽重がある筈もない。
けれども私は駄目なので、これは私の趣味であつた。人は骨董や美術や風景を愛すけれども、私は美しい人間を趣味的に愛してゐるので、私は人間以外の美しさに見向きもしないたちなのだ。
そして、さういふ美しさを愛す私も、やつぱり単に悪魔的で、悪魔的に感傷的であるにすぎなかつた。私はあとは突き放してゐるのだ。どうにでも、なりたまへ。私はたゞ私の一瞬の愉快のために、あなたを喜ばせ、びつくりさせ、気に入られようとしてゐるだけだ。尤も、気に入られる代りに薄気味悪く思はれるかも知れないが、それはどうでも構はないので、私はたゞ私自身の満足があるだけでいゝのである。
私は全然無意味な人にオゴつてやつたり、金をやつたり、品物をやつたりする。さういふ気持になつたとき、その気持を満足させてゐるだけのもので、底でこれぐらゐ突き放してゐることはないのである。これはまつたく悪魔の退屈なので、あの青年に宿をかし得なかつた如き、私は元来、時間的にやゝ永続する関係には堪へられないといふ意味も根強いのであつた。
女は晴着のモンペをつけてアヒビキにでかけてくるくせに、魂には心棒がなく、希望がなく、たゞその一瞬の快楽以外に何も考へてゐないだらしなさだつた。何のハリアヒも持つ
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