でてはいけない。それがタテマエでしょう。特にこんな大事な対局ですから、と、言葉はきわめて穏かであるが、奥にこもる気魄と闘志、もの凄まじい。
 けだし、呉氏がまだ五段のころ、本因坊秀哉名人と何ヶ月にわたって骨をけずるような対局をした。そのとき、秀哉名人が封じ手のあと、一門とはかって、次の手を考えて妙手を発見したとやら、風説があるのである。
 そんなことがあるから、勝負に必死の呉氏、言葉は静かであるがゆずらない。
 自動車で家へ戻って、玄関から中へ上らず、忘れ物を受けとって、すぐ戻る、と呉氏が深く信頼している読売の黒白童子を立会人とし、自動車に同行せしめることゝして、呉氏承諾。
 この車に同車して僕も一応家へ帰る。本因坊に、今日の勝負の感想を問うと、まだ分りません。二日目の午後、三日目の午前中が勝負どころになるでしょうと、答えた。
 翌朝八時に、もみじ旅館へ到着すると、ようやく呉氏が起きてきたところだ。食事です、という女中の知らせにも拘らず、食卓へ現れず、しきりに荷物をゴソ/\かきまわしているから、さては持参の卵とリンゴを探しているな、と女中が察して、
「卵は半熟が用意してございます。リンゴもおむき致しましょうか」
「えゝ、朝はね」
 と、うなずいて、食卓についた。ミソ汁と卵とリンゴ、ゴハンは朝はたべない。
 今日は階下の奥座敷で対局。呉氏、今日は半袖ワイシャツに白いズボン。昔、金満家の大邸宅だったというこの旅館の庭は、深い緑が果てもなく、静寂が、目に心にしみてくるのであるが、こう猛暑では、何がさて、あつい。
 私も色々の対局を見たが、対局に、こんなに思いやりを寄せる旅館は、初めてだ。こゝのマダムが囲碁ファンで、まだ若い美人にも似ず、相当に打つのだそうである。
 今日は、立会人のほかは、全然見物なし。
 呉氏も今日は、目をパッチリと、ねむそうだった昨日の面影はミジンもない、貧乏ゆすりをしながら、食いこむように、かがみこんで考えている。
 本因坊は、まさしく剣客の構えである。眼は、深く、鋭く、全身、まさに完全な正眼だ。
 両方で、時々、むずかしい、と呟く。十時にビワがでる。本因坊はアッサリ食べ終り、呉氏はビワと格闘するように食べ終って、ギロリと目玉をむいて、盤を睨む。
 国籍異る世界最高、第一人者が名誉をかけて争う国際試合は、日本の歴史において、これが最初だ。果して、この歴史的争碁が、いかなる結果に終るであろうか。



底本:「坂口安吾全集 06」筑摩書房
   1998(平成10)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「読売新聞 第二五六九二号、第二五六九三号」
   1948(昭和23)年7月8日、7月8日
初出:「読売新聞 第二五六九二号、第二五六九三号」
   1948(昭和23)年7月8日、7月8日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2007年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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