せられたやうにして一つの卓子と数脚の椅子らしい破れたものが置かれてある。
私が此処へ通つたのは丁度一冬の間、秋の終りから春にならうとする寒い一季節の間であつた。私は此の隅にうづくまつて暫く一人で待たされる間、重苦しさで身動きも懶い気持になるのであつた。すると此の部屋は痛々しい硝子張りの窓ばかりだが、それを通し、何もない庭の土、鈍重な冬の光を冷え冷えといぶしてゐる黒く侘しい土肌と、それを越えて一棟の病室が覗かれ、檻の中では病人達の蠢めく様が眺められた。彼等は演説をしたり、けたゝましい笑声を発したり、呂律の廻らない破れさうな流行唄を喚いてゐる。私は此処へ坐らされた瞬間からもう煙のやうな私、掴まへどころのない憂鬱と不安とに怯えきつて縮んでゐた。時々この広々とした板の上を白い看護婦達がスリッパを鳴らして通るのだが、私は眼を上げる気力さへ失ふて今にも消滅するやうであつた。
春が近づいた頃私は辰夫の令兄から甚だ感傷的な、それはまるで小女雑誌の投書のやうな長文の手紙を受取つてゐた。それから一週間もして、辰夫は退院することが出来た。辰夫はある私鉄の改札掛となつて、間もなく遠方へ越して行つた。
一日私は広茫たる水田のほとりへ辰夫を訪れた。折悪しく辰夫は社用で不在だつたが、あの神経質な又冷淡な母親を予想してゐた私は、そこに全く思ひがけない物静かな、その温顔に神へのやうな深い感謝を私に浴せる老いたる母を見出して呆然としてゐた。私は田園の長い夜道を辿り乍ら、改めて歎息に似た自卑と共に、世に母親ほど端倪すべからざるものはないと教へられた。
底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
1999(平成11)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「東洋・文科 創刊号」花村奨
1932(昭和7)年6月1日発行
初出:「東洋・文科 創刊号」花村奨
1932(昭和7)年6月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:砂場清隆
校正:noriko saito
2008年4月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは
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