分を愛してゐることを私に信じさせ、説服しやうとするのであつた。檻の中の辰夫の望みが如何に謙虚なものであつたか、今私は胆に銘じて記憶してゐる。それにも拘らず、その頃私は愚かであつた。(今も――)
扨《さ》て辰夫は次第に苛々して、遂には私が如何にも辰夫の母親を誤解し、母親は辰夫を愛してゐるにも拘らず私は愚鈍で其れを見破るよすがもない、といふ意味を仄めかさうとするのであつた。莫迦な私は逆上して、
「君は実に物の分らない妄想溺惑家だ。今は白状するが、僕は毎日君のお母さんに会つてゐる。併し君の母なる人は凡そ頑迷で、冷淡で、又甚だヒステリイで……」
斯んな風に激しく私は興奮して、もはや我無者羅に喚くやうになるのであつた。すると辰夫は粛然と襟を正して深く項垂れ、歴々と羞ぢらう色を見せて悲しげに目を伏せてしまふのだ。私は自分の愚かさに胸を突かれる思ひをして、又もや夢中になつてしまひ、
「併し併し親の心は神秘だから、他人の僕に通じないものが必ずあるに極つてゐる。僕は浅薄で深さの分らない人間だから、君の母を誤解してゐるに違ひない……」
斯うして益々混乱する私は自卑に堪まりかねて、次のやうに途方もない脈絡もない囈語を喚いてしまつたりした。
「僕は本当のことを君に言ふが、僕は嘗て君に友情を抱いたことは一度もない。此処へ来るのも自分の打算から来るのであつて――」
そして私は、実は私は受付の看護婦に惚れてゐるから此処へ足繁く通ふのだと、之は確かに出鱈目であることを保証するが、斯様なことを喚いたりしたのであつた。すると辰夫は此等私の無礼極まる言説にも寧ろ益々粛然として、深い自卑と羞らう色を表はして項垂れてしまふから、私は取りつく島もない自卑のあまり前後不覚に狼狽する次第であつた。
「あゝ! 俺は実に悪者だ……」
私が斯様に断末魔のやうな呻きを最後に発すると、辰夫は漸く私の腕をしたゝかに握つて泪を泛べ。
「本当に君に済まない。君のやうな善良な友達を斯んなにも苦るしめて、僕は怎《ど》うしていゝか分らない……」
その詠歎を終りとして、私達は暗然と項垂れ合ひ、扨て私は窓の外へ目を逸らして、今にも空気にならうとする私の身体を感じつゞけてゐた。
この病院の面会室は本来は講堂と称せられる所で、舞台なぞも設けられた二百畳もある程の板敷の部屋であつた。その広々とした部屋の隅に、まるで冷めたさに吹き寄
前へ
次へ
全6ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング