て不可能への憧れが彼等の中に育つのだ。それは不可能を可能ならしむるための荘厳な人間苦には結晶せずに、現実すら不可能に粉飾し、不可能を憧れながら諦らめる二重の欺瞞を愉しむ詩人にするのであつた。太陽をもとめて伊太利へ馬車を走らせるエルテルの詩人を、彼等は最も救ひがたい本能の姿に於てはぐくんでゐた。
新潟市は旧幕時代は天領だつた。町の血管に武人気質を持たなかつた。生れながらの港町で、生きた貨物と遊び女と浮かない心の町人達が住んでゐた。稼ぐこと遊ぶこと、それに絡まる厭世感とを恐らく大阪が代表する。大阪のあらゆる部分のあくどさを風土的にぬいたものが新潟であつた。新潟はそもそも風土的に気弱だつた。その町の町人達はなんらの知識を賭けることなく虚無的だつた。その虚無感には苦悩を重ねた行路の跡も秘められてゐない。虚無感が町の鼻唄にすぎないのだ。そして町の性格をその鼻唄が決定してゐた。
徳川幕府三百年の鎖国政策が解かれ、文明開化の奔流を導くための五つの貿易港が定められた。神奈川・兵庫・長崎・函館そして新潟の五港だつた。安政年間のことであつた。港内測量のため異国の火輪船がはじめて新潟港外に悪魔的な花車《
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