。このまゝウチへおかへり?」
 ヒロシは夏川の顔をちらと見た。その目には、はじめていくらかの厳しい気配があつた。ヒロシの報せの言葉が穏やかなせゐか激動は覚えなかつたが、夏川の心は顛倒して、とつさに目当もつかないやうだ。穏やかだが、突きつめたヒロシの意志がその中へ食ひこむやうであつた。
「外へ泊るといつても、今日は、それほどの持ち合せもないのでね」
「そんなこと、かまやしませんわよ」
「さうかい。上野も近いしね。浮浪児の仲間入りをするか」
 浮浪児の仲間入りといふよりも、ヒロシの仲間入りと言ひかけるところであつた。初夏の夕風が爽やかだ。そして薄明がねつとりしてゐた。
 ヒロシは女の言葉を使ふが、男であつた。然し心はまつたく女だ。歌舞伎の下ッ端で、オヤマの修業をしてゐたのだが、戦争中から食へなくなつて、オコノミ焼の居候をしてゐた。焼けだされて、オコノミ焼の家族と共に、夏川の隣室に住んでゐた。夜になると淫売に出て行くらしい話であつたが、元々歌舞伎の下ッ端の頃から幇間《ほうかん》なみにお座敷へでて遊客の玩弄物に育つてきた。けれども同じお座敷育ちの芸者たちが日増しに荒れ果てた心に落ちるのに比べれ
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