る間はヨメの登志が神棚の下で張り番していることになっていた。家族はそれだけだ。女房は死んだ。息子は戦死した。娘はヨメ入りした。登志とてもすでに不要の存在であるが、かなり働き者であるし、神棚の下の張り番もあるので、飼い殺しの気持に傾いていた。しかし、時々迷うのだ。お菊が大きくなる。畑や炊事の手助けが一人前にできる年頃になれば、登志は無用だ。お菊にムコをとれば、なおのこと無用だ。
保久呂湯の泊り客に盗難があったことは以前はあった話であるが、この部落の民家へ泥棒がはいったことは近年ついぞ聞いたことがなかった。しかし泥棒は存在する。この部落の誰一人安心できない。東京のスリと同じことだ。彼は剣客と同じぐらい常住坐臥ユダンしたことはなかったのである。しかし、まさか七ツの子供が彼をおびやかすとは思ってもみなかった。七ツの子供の言葉の背後に控える厳たる暗黒世界の実在が彼の脳天をうったのである。
彼が「鉢の木」を唸らずに保久呂湯の戻り道を急いだのはメッタにないことだった。だが、南無三! 実に奇妙な予言であり、また暗合であった。登志は神棚の下に坐っていたが、シマの財布はなくなっていたのだ。彼は登志の首をしめた。それからともども探したが見当らない。また登志の首をしめた。しかし、思いついて外へとびだすと、部落の半鐘を盲メッポウ打ちならしたのである。否応なく部落の全員を集めたあげく、登志と七ツの子供を前へ呼びだして、
「犯人は誰だ。名を云え。誰が盗んだ。白状しろ」
連呼しながら二人の首をしめあげたのである。二人は半死半生になったが犯人の名を云わなかった。心当りがなかったのだから言わなかったのは無理がない。
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以上はこの物語の発端であるが、探偵小説的な興味と結末を期待されるとこまるのである。その方面のことはアイマイモコとして神秘のベールにとざされている。盗まれた現金が九十一万いくらであるから警察もかなり念入りに調べたけれども全然雲をつかんだにすぎない。
神棚の下に張り番していた登志が第一に疑られたのは当然だが、彼女はその時間にアイビキしていた。アイビキの相手は保久呂湯の三吉であった。三吉はアイビキの後登志に送られてまッすぐ帰宅したから、犯人はアイビキ中に忍びこんだことが分っただけで、中平の入浴はその「鉢の木」のおかげで部落の誰にも分っていたのだから、留守番のアイビキ中に楽々と盗むチャンスは部落の全員にあったのである。アリバイ調べなぞもやってはみたがムダだ。部落の全戸数はたった十一戸にすぎないが、警官にとってはその各々が孤立した城であった。城外に援助をもとめる必要はない。彼らはその城に閉じこもる限り安全で、よその出来事に対しては「知らない」という完璧で絶対的な表現があった。知るはずもない。みんなそれぞれ離れている。そして戸外には光もない。彼らが知っていることは中平が「鉢の木」を唸って通過したことだけであった。結局犯人が札ビラをきるまで待つ以外に手がないとあきらめて捜査は打ちきりとなったのである。
しかし、いろいろのことが残った。その第一は中平がフランケンシュタイン化したこと。したがって部落に恐慌が起ったこと。三吉の家庭の事情が悪化したこと。登志がダルマ宿へ身を売ったこと。それらは当然起るべきことではあったが、メートル法の久作が悲劇の中心的人物となったことは意外というほかはない。しかしその素因は他にあった。たまたま中平の盗難を機にそれが発したのであるが、その表面に現れた事柄から我々がこの悲劇を理解することは困難であるかも知れない。我々は感じる動物にすぎないのだということを、この場合に特に思うのである。
メートル法の久作はもともと中平と仲がわるかった。その原因は中平がリンゴ園で成功したに対し、久作はシイタケの栽培に失敗したあたりに発しているのかも知れない。この村には約三十年来三人の進歩的人物がシノギをけずっていたのである。中平のリンゴ園、久作のシイタケその他、及び三吉の保久呂霊薬である。リンゴ園と霊薬は成功したのにシイタケその他が失敗したので、久作は他の二名に遺恨をむすんだらしい。
メートル法という久作の異名は彼がメートル法に反対して戦った長い戦歴から来ている。進歩的人物にふさわしくないことであるが、計算に余分の手間がかかるだけだとフンガイしてメートル法の村内侵入に反対した。せめて部落へ入れるな、せめてわが家へ入れるなときびしく役場や学校へつめよったが、時世には勝てない。彼の三人の子供も父の意志に反してメートル法の教育をうけ、それぞれ兵隊となり、出征して三人ながら戦死した。久作はいまや一人、女房も死に、子も孫もなかった。
久作自身は兵隊に行かなかったので戦争になるまで知らなかったが、鉄砲や大砲が二千メートル射撃イ!
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