人の惨めな生徒であったのである。
尤《もっと》もこんな男でも、たったひとつ効能のあることが分ってきた。というのは、涅槃大学校の印度哲学科というところは、時々先生がわざわざ三十分も遅れたあげく教室へ出向いてくるのに、生徒の影がひとつもないということがあるのであった。即ち坊主の子供達は就職の心配がないのであるし、世襲の職業に情熱や興味を持っていないからなのである。時間制の月給をいただいていらっしゃる先生達は、人のいない教室に四五十分もうたたねしたり鼻唄うたったりしながら風をひいたりするのであった。そこで教務課長というような人が級長を呼び寄せて言うのである。君達の立場は分るのであるが、など同情深く口籠ったりしながら、籤引《くじび》きで受持ちの講義を決めるのはどういうものだね。つまり各々の講座には必ず一人の学生が決死の覚悟で出席する。いや、即ち君、これは学生の義務というものじゃからね、などと言い渡すのだった。と、栗栖按吉のクラスでは、まさにその心配がないではないか。
ここに坊主の子供達が御布施をくれたって俺はでないねという講座が二つあるのである。梵語《ぼんご》と巴利《パーリ》語の講座であっ
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