先生よりも物識《ものし》りの生徒の先生と、涅槃大学校の印度哲学科の先生であった。ここの生徒は耳と耳の間が風を通す洞穴になっていて、風と一緒に先生の言葉も通過させてしまう。然し先生はそんなことを気にかけない。先生は喋るために月給をもらっているが、教えるために月給をもらっていないからであった。
 こんなにあっさりしたクラスに、先生の言葉を真剣にきいている生徒がいたらどうだろう。実際笑止で、気の毒なほど惨めなものだ。耳と耳の中間の風洞に壁を立て、先生の言葉をくいとめようと必死にもがいているのである。なんのためだか、てんで意味が分らない。一目見て、これはもう助からないほど頭の悪い奴だという印象を受けてしまうのである。第一こいつは何のために学校へ来ているのだろう。あまりのことに――いや、まったくだ。物質の貧困よりも、このような精神の貧困ほど陰惨で、みじめきわまるものはない。そこで先生は泣きだしたいほどがっかりして、学生の本分とは何か、とか、学校の精神は何か、もっと正々堂々たれ、惨めであるな、高邁《こうまい》なる精神をもて、そんなことを口走りたくなるのであった。
 即ち栗栖按吉がこのようなたった一
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