れども、八さんの話をきいていると、八さんの肉体などはてんで意識にのぼらない。こっちも忽ちニヤニヤして八さん以上に相好くずして坐りなおしてしまうのである。どうも悟りをひらかないてあいというものは仕方がない。夜の白むのも忘れて喋り、翌日は、酒ものまずに、ふつかよいにかかっている。
 ところが高僧のお言葉ときては、そういう具合にいかないのである。こっちも忽ちニヤニヤして、てもなく同感してしまうという具合にいかない。お言葉と同時に、先ず何よりも高僧の肉体が、肉体の温顔が、のっしのっしと按吉の頭の中へのりこんできて、脳味噌を掻きわけてあぐらをかいてしまうのだ。按吉は、思わず目を掩《おお》う気持になる。悟りのむらだつ毒気に打たれた。時には瞬間慄然とした。

 そのころ栗栖按吉に、ひとりの親友ができていた。龍海さんと云って、素性の正しい坊主であったが、まだ高僧ではなかったから、痩せ衰えた肉体をもち、高僧なみに至ってよく女に就て論じたけれども、てんで悟りに縁がないから、肉体の温顔などは微塵《みじん》もなかった。
 龍海さんは坊主の学校で坊主の勉強しなければならない筈であったけれども、坊主の足を洗いたい
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