だけは、世界中の言葉という言葉が総がかりになっても表現しきれない神秘な感覚があるのだと思いこんでいたんだぜ。僕は君、一生だまされていたようなものだ。僕はもう、つくづく都会の生活がいやになったな。くにへ帰って、暫《しばら》くひとりで考えてくる」
 先生自体が神秘すぎて、按吉には、先生の厭世の筋道や内容がどうもはっきり呑みこめなかった。世界中の言葉という言葉が総がかりになっても表現しきれない神秘な感覚というものをどうして三十何年も我慢していらっしゃったのか分らないし、その予想が外れたからといってどうして故郷へ帰らなければならないのかてんでわけが分らない。一生だまされていたなどと大変なことを言って嘆いていらっしゃるが、誰がどういう風に騙《だま》していたのだか一向わけが分らない。先生がこんな大変なことを言って嘆いているのをきいていると、先生が言葉という言葉をみんな覚えようとしたのは、つまりそれを総がかりにしても表現しきれないようなことを、実はどこかに表現されているのだと感違いしてせっせと勉強していたようにも思われるし、三十何年も童貞を守っていたくせに、実のところは先生年中そのことばかり考え耽《
前へ 次へ
全39ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング