チベット語の講師を務めていらっしゃるのであった。先生がいつもにこにこしていらっしゃるので、浮かないながら、按吉は次第に心気爽快になっていた。文法もよくお知りにならず、辞書もお引けにならなくとも、帝国大学で講義していらっしゃるのである。チベット語や梵語というものは、辞書が引けず、読むことができなくとも、ちゃんとそれで読めている結果になっているのかも知れぬ。そうして栗栖按吉は辞書もろくに引けないうちに、ちゃんと原書を読んでいる気持になってしまうのだった。

 そのころ、栗栖按吉は不思議な学者と近づきになった。
 この学者はゴール共和国のラテン大学校の卒業生で、言語学者であった。東洋の二十数ヶ国語に通じているという話なのである。鞍馬六蔵という大変雄大な姓名だったが、いかにも敏捷な学者らしく、五尺に足らないお方であった。
 鞍馬先生は追分の下宿を二室占領して数千巻の書籍と共にくすぶっていたが、朝になると、大概脱脂綿にアルコールをしめして、丁寧に本を拭いていらっしゃる。というのは、最近鞍馬先生に夢遊病の症候が現れて、先生は夜中無意識のうちに歩行し、最も貴重な本箱に向って放尿し、またお眠りになる。
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