も七時間も辞書をめくった挙句《あげく》の果に、ようやくたったひとつの単語を突きとめて凱歌《がいか》をあげる程だったから、この先二苦労や七苦労で原書がお読めになるところまで行けないことを知っていた。そこで按吉の釈然とせぬ顔付を見ると、先生は更にいたわって下さるのである。
「いえいえ。梵語はもうそれで宜《よろ》しいのでございます」先生はにこにこと仰有るのだった。「皆さんもう同じことでございます。五年十年おやりになっても、皆が皆まで引いた単語が現れてくれるというわけには却々《なかなか》参るものではございません」
これは又心細い話である。これでは却々釈然と笑うわけにはいかないのである。そこで先生は益々浮かない顔付の生徒を見て、益々やさしく、いたわって下さる。
「梵語はあなた、まだまだ楽でございます」先生はにこにこ仰有るのである。「チベット語ときたら、これはもう私はあなた、もう満五年間というもの山口恵海先生に習っているのでございます。単語がもう何から何までひとつひとつが不規則変化。いまだに辞書がろくすっぽ引けは致しません。それでも帝大で講義致しております。大変つろうございます」
先生は帝大で
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