な一日。按吉は学校の門前で、一枚のビラをもらった。
 トルコ語とアラビヤ語を一ヶ年半にわたって覚える。授業は毎日夜間二時間。そうして、一年半の後、メッカ、メジナへ巡礼にでかける。回教徒の志望者をつのるビラであった。
 その日から、締切の最後の日まで、按吉は真剣に考えた。メッカ、メジナへ行きたくなってきたのである。
 そのころ彼は、ちょうどある回教徒の聖地巡礼の記録を読んだ直後であった。巡礼者の大群はアラビヤの沙漠を横断して、聖地へ向って、我武者羅《がむしゃら》な旅行をはじめる。信仰の激しさが、旅行の危険よりも強い。そこで、食料の欠乏や、日射病や、疫病《えきびょう》で、沙漠の上へバタバタ倒れる。その屍体をふみこえて、狂信の群がコーランを誦しながら、ただ無茶苦茶に聖地をさして歩くのである。
 思いきって、沙漠横断の群の一人に加わろうかと考えた。そこに、命があるような思いがした。なにかノスタルジイにちかい激烈な気持であったのである。
 締切の日、彼は思いきって、丸ビルへでかけて行った。そうして、講習会場の入口へ来て、再び決心がつきかねて、三度その前を往復した。トルコ人が、彼を見つめて、講習会場の扉をあけて、消えてしまった。
 だが、彼はとうとう這入らなかった。トルコ人の姿が消えると、ふりむいて階段を降りた。その理由は――彼は丸ビルへくる電車の中で、すぐれて美しい女学生を見たのである。目のさめる美しさだった。彼の心は激しく動いた。
 これでアラビヤへ行こうなどとは、大嘘だと思ったのである。そうして丸ビルの階段を降りながら、生れてはじめて本当のことをした感動で亢奮《こうふん》していた。これから、いつも、こうしなければならない、と自分に言いきかせながら歩いていた。
 その日から、彼は悟りをあきらめてしまった。龍海さんは巴里密航の直前に、女に迷って、行方不明になってしまった。そうして、生死が、わからない。



底本:「坂口安吾全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1990(平成2)年2月27日第1刷発行
底本の親本:「炉辺夜話集」スタイル社
   1941(昭和16)年4月20日発行
初出:「文体 第二巻第五号(五月増大号)」
   1939(昭和14)年5月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:砂場清隆

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