い。高僧はどのように、又、どの程度に、女色をたのしむべきか、という具体的な教育を行うつもりであったのだ。
芸者が来た。みんな何代目かの管長候補の長年の馴染で、芝居の話や、旅の話や、恋人の話や、凡そお経の話以外はみんなした。
深夜になって、一同、待合の一室で雑魚寝《ざこね》した。朝がきた。顔を洗って、着物を着代えて、何代目かの管長候補は女の襟を直してやったり、女の帯をしめてやったり、熟練の妙をあらわして、二人の青道心をしりえに瞠若《どうじゃく》たらしめた。
龍海さんも按吉も、何代目かの管長候補の厚意に対して感謝しないわけではなかった。それはたしかに純粋な厚意であったに相違ない。愚昧《ぐまい》な二人の青道心を、いくらかでも悟りの方へ近づけてやろうという、しかも芸者買という最も誤解され易い手段を用いて敢て後輩を導くという、容易ならぬことである。――けれども釈然とはできなかった。どうしても、なにかしら、割りきれない暗さが残った。
「なにかしら、割りきれないと思いませんか」按吉は龍海さんに訊いた。
「割りきれません! いい加減です! 鼻持ちならない!」
そう答えて、龍海さんは、怒りのためにぶるぶるふるえた。二人はすっかり沈みこんで、がっかりしながら暫くめあてなく歩いていた。
あれぐらいのことをするなら、なぜ堂々と女と一緒にねないのだ。そういうことが先ず第一に考えられる。問題は、然し、決して、それではなかった。
たとい堂々と女とねても決して坊主は明朗にならない。按吉は思った。なにか割りきれない不思議な毒気は、単に女とねるねないの問題だけのせいではない。もっと、根本的なものである。坊主たちは、女を性慾の対象としか考えない。彼等が女から身をまもるのは、ただ、性慾をまもるだけの話である。
然し、俗人は女に惚れる。命をかけて、女に惚れる。どんな愚かなこともやり、名誉もすて、義理もすて、迷いに迷う。そのような激しい対象としての女性は、高僧の女性の中にはないのである。按吉は痛感した。どちらが正しいか、それはすでに問題外だ。迷う心のあるうちは、迷いぬくより仕方がないと痛感した。そうして、こう気がついてのち、肉体の温顔だとか、むらだつ毒気だとか、そういうものを持たない人を見直すと、みんな今にも女のために迷いそうで、義理も命もすてそうな脆《もろ》さがあるのに気がついた。
そん
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