そこで先生は毎朝目を覚して仰天し、アルコールで本をふく始末になるのであったが、夢遊病はとにかくとして、貴重な書物に放尿するに至っては、どうにも悲痛なことである。要するに夜中尿意に悩まなければいいのであるから、先生は午後になるとお茶をのまず、その上部屋の四隅へ溲瓶《しゅびん》を置いたが、無意識中における先生の意志はどうしても本に向って放尿せずには納まらない。生の馬肉やオットセイの肉などを食い、遂に赤蛙の生きた奴を食うところまで心をきめたが、どうしても食いたくないという意志などがあって、相反目せる精神がひとつの人体内に於てまき起す争いの結果は乱暴だ。食べられたくない赤蛙よりも、これを食べようという先生の方が、より以上に慌《あわただ》しく惨澹たる悪戦苦闘をするのであった。
孤独の先生は思うに弟子が欲しかったのだ。けれどもペルシャ語だの安南語などいうものは、先生の方が月謝を払っても習ってくれる者がない。だから遂に見出したたった一人の弟子、栗栖按吉をいたわってくれることといったら涅槃大学校の梵語の先生も及ばないという風がある。
「その程度なら、君、語学を専攻するだけの天稟《てんぴん》がある」と、先生は梵語の手並をためした上で、こんな思いきったお世辞を言う。涅槃大学校の梵語の先生と違って、決して笑わないから、言葉がみんなほんとのような気がするのだった。「ラテン大学の言語学科は全世界の天才が集ってくるが、中には丁度君程の才能しかない男がいたです。一年そこそこでその程度なら、日本では梵語学者になれるな」
先生の言葉はなんとなくあらゆる物に心安い感じを起させる。ラテン大学校の天才だの安南の哲学者だのネパールの王様だのというものが友達のような気がするのである。日本の梵語学者なんてものは、どうも、俺の弟子に当る男じゃなかったかな、などいう気持についなってしまうのだった。
ところが先生は按吉に向って、大いに見込みがあるからチベット語を伝授しようと言う。二十世紀に仏教を勉強するほどの者なら、先ずチベット語をやらなければ話にならない、と仰有るのである。梵語や巴利語の文献はいくらも残存していないが、仏教関係の文献は殆んど全部チベット語に訳されて伝わっている。だから仏教はチベットから這入らなければ二十世紀の学者として真物《ほんもの》じゃないと仰有るのだった。
生憎《あいにく》なことに按吉は
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