も七時間も辞書をめくった挙句《あげく》の果に、ようやくたったひとつの単語を突きとめて凱歌《がいか》をあげる程だったから、この先二苦労や七苦労で原書がお読めになるところまで行けないことを知っていた。そこで按吉の釈然とせぬ顔付を見ると、先生は更にいたわって下さるのである。
「いえいえ。梵語はもうそれで宜《よろ》しいのでございます」先生はにこにこと仰有るのだった。「皆さんもう同じことでございます。五年十年おやりになっても、皆が皆まで引いた単語が現れてくれるというわけには却々《なかなか》参るものではございません」
これは又心細い話である。これでは却々釈然と笑うわけにはいかないのである。そこで先生は益々浮かない顔付の生徒を見て、益々やさしく、いたわって下さる。
「梵語はあなた、まだまだ楽でございます」先生はにこにこ仰有るのである。「チベット語ときたら、これはもう私はあなた、もう満五年間というもの山口恵海先生に習っているのでございます。単語がもう何から何までひとつひとつが不規則変化。いまだに辞書がろくすっぽ引けは致しません。それでも帝大で講義致しております。大変つろうございます」
先生は帝大でチベット語の講師を務めていらっしゃるのであった。先生がいつもにこにこしていらっしゃるので、浮かないながら、按吉は次第に心気爽快になっていた。文法もよくお知りにならず、辞書もお引けにならなくとも、帝国大学で講義していらっしゃるのである。チベット語や梵語というものは、辞書が引けず、読むことができなくとも、ちゃんとそれで読めている結果になっているのかも知れぬ。そうして栗栖按吉は辞書もろくに引けないうちに、ちゃんと原書を読んでいる気持になってしまうのだった。
そのころ、栗栖按吉は不思議な学者と近づきになった。
この学者はゴール共和国のラテン大学校の卒業生で、言語学者であった。東洋の二十数ヶ国語に通じているという話なのである。鞍馬六蔵という大変雄大な姓名だったが、いかにも敏捷な学者らしく、五尺に足らないお方であった。
鞍馬先生は追分の下宿を二室占領して数千巻の書籍と共にくすぶっていたが、朝になると、大概脱脂綿にアルコールをしめして、丁寧に本を拭いていらっしゃる。というのは、最近鞍馬先生に夢遊病の症候が現れて、先生は夜中無意識のうちに歩行し、最も貴重な本箱に向って放尿し、またお眠りになる。
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