起ったようなのが三鷹事件で、左翼から容疑者をあげれば、容疑者ならびに共産党側の言い分は、左翼の犯行と思わせて民心を左翼から離反させるための右翼の陰謀だというのである。
ところが両々自分の言い分を応酬し合って宣伝につとめるばかりで、国民を納得させるような物的証拠というものが、登場してこない。物的証拠さえ提出すれば、宣伝に声をからす必要はなく、黙っていても国民は納得してくれるのだが、そのような理論的確実さが表面の問題にならない。今ではもう国民の生活とは絶縁したどこかの原ッぱで、闇試合が行われているようにしか思われない。共産党の傍聴記をよむと、真犯人があんな明朗な態度ではいられない、などと、彼らの言うところ、すべて理論以前の屁理屈で、ここにも知性や近代を見ることができない。
しかし、政府や役人が国民に加える傲慢な威圧もハッキリした便乗的暴力だろう。日本国民がポツダム宣言に服従しなければならないことは当然であるが、そこに便乗して自分の一方的な解釈や政策をおしつけようとする暴力は競輪場の便乗暴力と変りがない。国をあげての競輪騒動であり、便乗暴力だ。理論的に納得させるという精神と、納得し得ない
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