のである。「私」といふ漢字は左の禾から右の厶を書き、「ワタクシ」も右から左へ走つてゐるのだ。ただ書く方法が速力に反逆してゐる。即ち、私達は各々の文字を左から右へ書くにも拘らず、左へ左へと文字を書き走らせずに、各字毎に再び左へ戻つて来て右へ書き、又次の字は左へ戻るといふ風に凡そ速力や能率の逆のことに専念してゐる。
 作家にとつて、流れる想念を的確に書きとめることは先づ第一に重要である。私の友人達を見ても、各々他人に判読出来難い乱暴な字でノートをとつてゐるやうである。
 ドストイェフスキーが婦人速記者を雇ひ、やがてその人と結婚した話は名高い。伝記によれば、借金に追はれ、筆記の速力では間に合はなくなつて速記者を雇つたのだと言はれてゐるが、それも重要な理由ではあらうが、又ひとつには、さうすることが、彼の小説を損はず、むしろ有益であつたからに他ならないと思ひたいのだ。あの旺盛な観念の饒舌や、まはりくどくても的確な行き渡り方を読んでみると、筆記では、もつと整理が出来たにしても反面多くを逃したに相違なく、速記によつてのみ可能であつた効果を見出さずにはゐられない。
 私達は、自分で速記するよりも、他人
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