す」
「井田さんに申上げるの筋違いかも知れませんけど、私はね、この文化祭にバンドマスターの谷さんがなさった契約、不満なんです。バンドの人たちとケンカしたのが、そのためなんですわ。往復の汽車が三等でしょう。私だけ二等で来たのです。素人歌手のくせに生意気だと仰有るかも知れませんけど、学生のアルバイトだからむしろ誇りが持ちたいのね。みじめな思いでドサ廻りまでしたくないのです。この村の方だって、駅ぐらいまで出迎えて下さるのが当然じゃないかと思うんです。これは私だけの意見ですけどね。谷さんは卑屈よ。学生で素人でヘタだからという考えですけど、ヘタで素人で学生のアルバイトだから、せめて汽車は二等車に乗りたいと思うのよ。駅と村の往復もタクシーでやっていただきたかったんですけど、駅にタクシーがないようですから、これは我慢しますわ」
静寂な自然も三文の値打もない。抒情的感銘を唐竹割りにされたから信二も痴夢から目がさめたが、なに目がさめれば借金とり撃退はお手のもの、これぞ人生のよろこびだ。けなげにも太刀さき鋭く二等運賃を請求するとはアッパレな乙女、なんたる見事な風情であろうか。思わずその新鮮爽快な色気がぞくぞくと信二の身にしみ、彼は恍惚となって武者ぶるいをしたのである。
「実に正当な御意見ですね。むろん二等、むしろ特別二等、もしくは一等車ですよ。さっそく幹事長に伝えて、御満足のいくように取りはからうつもりですが、なにせ百姓連中でしょう。バスの代りには歩くんです。汽車の代りには自転車でしょう。自分がそうですから、汽車の三等だってゼイタクだという考えなんです。汽車の屋根に四等席をつくってやっても、むしろ汽車の下に五等席をつくれと云うにきまっています。そのくせ五等席にも乗りたがらずに、足で間に合わせるのがなお利口だという考えなんです。この連中を説き伏せるのは、竿で星を落すぐらいメンドーかも知れませんが、あなたのためにこの連中と闘うことは、むしろボクのよろこびですね。ボクはとてもうれしいのです」
「うれしいッてことじゃアないと思いますけどね。商用ですからね。純粋な取引でしょう」
「ですから、うれしい。商用のお役に立つことが、とてもうれしいのです。人生は商用につきますから」
「ハア、そうですか」
「特にアナタは女性ですし、あの満員の聴衆を集めたのも主としてアナタの力ですから、他の六名を合わせたぐらいの報酬を要求なさっても当然なんですね。ボクは幹事長にそれを要求しましょう」
「それは無理というものですわ」
「エエ、もうあの連中にとっては全てのことが無理なんです」
「私はね。ただ私だけでも二等運賃をいただいて、谷さんに見せつけてやりたいのです。そのミセシメが必要だと思うんですよ。その程度の誇りを持つべきであるということを」
「むろんですとも。では応接間で待ってて下さい。幹事長をつれて来ますから」
ありがたいことになったと信二は大いによろこんだ。もろもろの関係のうち、金銭関係ほど密接無二のものはない。人間が裸体である時よりももっと裸の関係だ。この関係にある時こそ人の心と心が最もふれ合う時なのである。借金をとられる奴ととる奴とが熱烈な恋におちるのが人生の自然というものであるのに、人生は皮肉だ。貧乏人にも高利貸にも美人がいないから、不幸にして偉大な恋愛が生れない。それにつけても小森ヤツ子の颯爽たる武者ぶりよ。けなげなる色気よ。あふれるような情感だ。これを一口たべなければ男というものではない。
信二は五助を人気はなれたところへ呼んで、
「実はこれこれで、小森ヤツ子が二等運賃を請求しているが、キミひとつ幹事長の悪役をやってもらいたい」
「おやすいことです。しかし、女性一人ぐらい二等で帰してもいいじゃありませんか」
「いけませんね。彼女は所持金もあるようだから、帰りの三等運賃も差上げなくともよろしいかも知れませんね」
「そこまではボクにはやれそうもありませんが」
「イエ、そのときはボクがやります。では、ひとつ、幹事長」
「ハイ、ハイ。かしこまりました」
信二は五助をつれてきてヤツ子に紹介した。五助は大きな会社の重役かのように悠々と煙草をくゆらしながら、
「二等というお話の由ですが、差上げたいのは山々なんですけれども、予算がありましてね。その予算がまた見事に狂いまして、本日の入場者千何百人のうちお金をだして切符を買って正式に入場したのが三十名ぐらいでしょう。三十円が三十枚で、たった九百円か。ウーム。これはまた少なすぎたな。どうにもならねえなア、九百円じゃア」
「それは会場整理の立場にあるアナタ方の責任ですわ」
「それはもう、たしかに我々の責任ですとも。ですから、いっそ自殺しようか、なんてことを云う者もあるし、死ぬにはまだ惜しい命だなんて声もあるし、テンヤワンヤですね。
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