分裂的な感想
坂口安吾

 私にとつての文学は、いはゞ私個人だけの宗教であるかも知れない。もともと文学は、作家にとつてはその人個人の宗教のやうなものらしいが、それはとにかくとして、私は元来なんとなく宗教的な自分の体臭を感じることが多いのである。愉快ではない。
 私は数年間印度哲学を勉強したが、もとより坊主にならうなぞといふ考へは毛頭なく、救ひを求めた切な心といふものも思ひ当らぬ。だいたい私は十六七の頃からすでに小説を書くことばかりを念頭においてゐて、小説家のほかのものにならうなぞと考へてはゐなかつたので、多分坊主にならうといふ考へもなかつたと思ふのだが、とにかく、今考へてもその原因が思ひ当らぬほどたゞ漠然と、恰も魔力にひかれるやうに仏教なぞを勉強した。原因不明ながら、ひところはひどく熱心に抹香臭い本を漁つて読んだ。ちつとも身につかなかつた。
 私のかういふ出鱈目さ加減は、次のやうな出来事を回想してみると尚よく分る。やつぱり仏教を勉強してゐた頃のことだが、ある日一枚のビラを見た。回教の宣伝ビラで、トルコ政府か何かの後援のもとに、一ヶ年半アラビヤ語とトルコ語を教へるが、但しそこに学んだもの
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