と違うのは、正しい勇気の分量が多いという点だけだ。ずるさは仕方がない。ずるさが悪徳ではないので、同時に存している正しい勇気を失うことがいけないのだと私は思った。
ある放課後、生徒も帰り、先生も帰り、私一人で職員室に朦朧《もうろう》としていると、外から窓のガラスをコツコツ叩く者がある。見ると、主任だ。
主任は帰る道に有力者の家へ寄った。すると子供が泣いて帰ってきて、先生に叱られたという。お父さんが学務委員などをして威張っているから、先生が俺を憎むのだ。お父さんの馬鹿野郎、と云って、大変な暴れ方で手がつけられない。いったい、どうして、叱ったのだ、と言うのである。
あいにく私はその日はその子供を叱ってはいないのである。然し子供のやることには必ず裏側に悲しい意味があるので、決して表面の事柄だけで判断してはいけないものだ。そうですか。大したことではないけれど、叱らねばならないことがあったから叱っただけです、じゃ、君、と、主任はいやらしい笑い方をして、君、ちょっと、出掛けて行って釈明してくれ給え。長い物にはまかれろというから、仕方がないさ、ヘッヘ、という。主任はヘッヘという笑い方を屡々つけた
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