ようとか、結婚したいなどとは考えず、ただその面影を大切なものに抱きしめていたが、この主任の暗躍をきいたときには、美しい人のまぼろしがこんな汚らしい結婚でつぶされてはと大変不安で、行雲流水の建前にも拘《かかわ》らず、主任をひそかに憎んだりした。
石毛先生は憲兵曹長だかの奥さんで、実に冷めたい中性的な人であったが、福原先生はよいオバサンであった。もう三十五六であったろうが、なりふり構わず生徒のために献身するというたちで、教師というよりは保姆《ほぼ》のような天性の人だ。だから独身でも中性的な悪さはなく、高い理想などはなかったが、善良な人であった。例の高貴な先生の親友で、偶像的な尊敬をよせていることも、私には快かった。多くの女先生は嫉妬していたのである。私が先生をやめたとき、お別れするのは辛いが、先生などに終ってはいけない、本当によいことです、と云って、喜んでくれて、お別れの酒宴をひらいてうんとこさ御馳走をこしらえてくれた。私は然し先生で終ることのできない自分の野心が悲しいと思っていた。なぜ身を捧げることが出来ないのだろう?
私は放課後、教員室にいつまでも居残っていることが好きであった。生
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