間はカンジダなのだと私は思う。それから堕ちるのだ。ところが、肉体の堕ちると共に、魂の純潔まで多くは失うのではないか。
 私は後年ボルテールのカンジダを読んで苦笑したものだが、私が先生をしているとき、不幸と苦しみの漠然たる志向に追われ、その実私には不幸や苦しみを空想的にしか捉えることができない。そのとき私は自分に不幸を与える方法として、娼家へ行くこと、そして最も厭な最も汚らしい病気になっては、と考えたものだ。この思いつきは妙に根強く私の頭に絡《から》みついていたものである。別に深い意味はない。外に不幸とはどんなものか想像することができなかったせいだろう。
 私は教員をしている間、なべて勤める人の処世上の苦痛、つまり上役との衝突とか、いじめられるとか、党派的な摩擦とか、そういうものに苦しめられる機会がなかった。先生の数が五人しかない。党派も有りようがない。それに分教場のことで、主任といっても校長とは違うから、そう責任は感じておらず、第一非常に無責任な、教育事業などに何の情熱もない男だ。自分自身が教室をほったらかして、有力者の縁談などで東奔西走しているから、教育という仕事に就ては誰に向っても一言半句も言うことができないので、私は音楽とソロバンができないから、そういうものをぬきにして勝手な時間表をつくっても文句はいわず、ただ稀れに、有力者の子供を大事にしてくれということだけ、ほのめかした。然し私はそういうことにこだわる必要はなかったので、私は子供をみんな可愛がっていたから、それ以上どうする必要も感じていなかった。
 特に主任が私に言ったのは荻原という地主の子供で、この地主は学務委員であった。この子は然し本来よい子供で、時々いたずらをして私に怒られたが、怒られる理由をよく知っているので、私に怒られて許されると却《かえ》って安心するのであった。あるとき、この子供が、先生は僕ばかり叱る、といって泣きだした。そうじゃない。本当は私に甘えている我がままなのだ。へえ、そうかい。俺はお前だけ特別叱るかい。そう云って私が笑いだしたら、すぐ泣きやんで自分も笑いだした。私と子供とのこういうつながりは、主任には分らなかった。
 子供は大人と同じように、ずるい。牛乳屋の落第生なども、とてもずるいにはずるいけれども、同時に人のために甘んじて犠牲になるような正しい勇気も一緒に住んでいるので、つまり大人
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