った。いや、ひねくれてはおりません、と私は答えた。ひねくれたように見えるだけです。素直な心と、正しいものをあやまたずに認めてそれを受け入れる立派な素質を持っています。私の説教などは不要です。問題はあなた方の本当の愛情です。私がいちばん心配なのは、あの娘は、人に愛される素質がすくない。女として愛される素質がすくない。ひねくれのせいではないのです。あの娘は人に愛されたことがないのではありませんか。先ず親に、あなた方に愛されたことがないのではありませんか。私に説教してくれなんて、とんでもないお門違いですよ。あなたが、あなたの胸にきいてごらんなさい。
 この母親はちっとも表情を表わさずに、私の言葉をとりとめのない漠然たる顔付できいていた。これも仮名で名前しか書けない一人だろうと私は思った。ただ、子供とはあべこべに、徹頭徹尾色っぽく、肉慾的だ。最も女であった。その淫奔な動物性が、娘の野性と共通しているだけだった。娘は大柄であるのに、母親はひどく小柄であった。顔はどちらも美人の部類である。二三分だまっていたが、やがてひどく馴れ馴れしく世間話をして帰って行った。
 鈴木と並べて石津と山田を私は思いだす習慣になっていた。この三人の未来には不幸のみが待ち構えているように思われてならない。私は不幸というものを、私自身に就てでなしに、生徒の影の上から先ず見凝《みつ》めはじめていたのだ。その不幸とは愛されないということだ。尊重されないということだ。石津の場合はただオモチャにされ、私はやがて娼婦となって暮している喜怒哀楽の稀薄な、たわいもない肉塊を想像した。私は実際の娼家も娼婦も知らなかったが、まったく小説などから得たものの中で現実を組み立てていたのである。然し私の予感は今でも当っていたように考えている。
 石津は貧しい家の娘で、その身体にはいっぱい虱《しらみ》がたかっていた。外の子供がそう云って冷やかす。キリリと怒るような顔になるが、やがて又たわいもない笑い顔になってしまう。善良というよりも愚かという魂が感じられる。読み書きはともかく出来て、中くらいの成績なのだが、人生の行路では、仮名も知らない女よりも処世に疎《うと》くて、要するに本当の生長がないような愚な魂がのぞけて見えるのだ。そのくせ、ひどく色っぽい。ただ、それだけだ。
 私は先生をやめるとき、この娘を女中に譲り受けて連れて行こうかと
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