ぶみしたことがない。せつかく情痴作家ともあらう者が、一度はそんなところで豪遊してみたいものだ、あゝ残念だと日頃身のつたなさを悲しんでゐたことだから、イヤイヤながら引受けたくせに、実は内心勇みたち、あつちこつちの雑誌社で無理算段を重ねて、ともかく予定の金額がふところに納まつたときには、にわかに紀国屋文左衛門のやうな爽快な気分で、金を持ちつけない人間がたまに握るとみんなかうなる。
 だからタイタイ先生はマリマリ嬢に訓戒を与へるなどゝいふことは忘れてしまつて、もつぱら今夕の豪遊について心をはづませてゐる。情痴作家たる所以である。
 ところが期待を裏切られた。盛り場の裏通りの又裏通りの、盛り場も二つ目の裏通りとなるとカンサンなもので、焼跡にポツリポツリと小屋がある。リュミエールなどゝいふ名前には似ても似つかぬ陰気な小屋で、やうやく七八人並べるぐらゐのスタンドだ。
 イスに腰かけて壁を見ると、カストリ一杯三十円、なんのことはない、先生のふるさとにすぎないのである。三十円は高い。先生の本当のふるさとに於ては二十五円だ。
 なるほどマリマリ嬢がゐた。マダムと二人だけである。お客はまだ一人もゐない。

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