「アラア! タイタイ大先生! まア嬉しい! どうしてこゝが分つたの。パパとママが行つたんでせう。そして、先生、パパとママにお説教して下すつた?」
「イヤイヤ。お説教されたんだ」
「あらゴケンソンね、大先生。私は先生のファンなのよ。弟子入りしようと思つたけど、女流作家になるのは嫌ひなんですもの。私ね、女流作家と男のお医者がきらひなのよ。あら、忘れちやつた。マダム、この方、タイタイ大先生よ」
「まア。こんなむさぐるしいところへ」
「イヤイヤ。大変明快でよろしいです」
「先生、ウヰスキー召上る」
「イヤイヤ。カストリ焼酎」
「あら名声にかゝわつてよ。私のお友達つたらタイタイ大先生はとてもスマートな青年紳士と思ひこんでゐるんですもの。私もほんとのことは教へてやらずに思ひこませておくのよ。だからウヰスキー召上れ」
「イヤイヤ。カストリ焼酎」
タイタイ先生は身についたスタイリストの本領によつて、焼酎をのむべきところでウヰスキーは飲まないのだと思ひこんでゐるが、実はケチのせゐで、カストリを飲んでも侮られないと見極めると、あくまでカストリをのむにすぎないのである。
こゝのマダムは三十ぐらゐのちよつと清楚な美人だ。ある日マリマリ嬢がデパートをぶらぶらしてゐたら、重荷をぶらさげて歩きなやんでゐるマダムを認め、荷物を半分持つてやつた。店まで持つてきてやつて、コーヒーの御馳走にあづかるうちにマダムが好きになつて、人手が欲しいといふから、手伝ふことにしたのださうだ。両親にはかうは言つてゐないのである。新聞広告を見てでかけたと云つてゐる。店ももつと大きくて、女がたくさん働いてゐるやうなことを言つてゐるのだ。
「なんだつて本当のことを言はないのだね。その方が両親は安心するのに」
「あら先生のお説ぢやなくつて。本当のことはくだらないつて。さうよ。本当のことなんて、みぢめだつて、先生書いてらしたぢやありませんか。その流儀よ、私も。嘘つて、悪いことぢやないんですもの。あら、マダム、マダムにも嘘ついてたけど、ごめんなさいね。お父さんが病気で働く人がゐないんだなんて、でも本当は病人みたいなものよ、昔をなつかしむばかりで、今を咒ふばかりで、今の中に生きることを知らない人は病人よ」
「うむ。当つてゐる」
「さうでせう。先生の流儀はみんな暗記してるんですもの。私は貧乏がきらひなのよ。パパもママもその流儀のくせに、没落階級つて、ひねくれて、すねるばかりで、みぢめなものなのね。自分の流儀を忘れてしまつて、ブツブツ不平をこぼすことしか知らないのですもの。だからタイタイ大先生からウンと御説教していたゞくといゝのよ。して下すつたでせう、先生のことですもの」
「ところがダメなんだよ。あべこべにやられてしまつて。実は君、タイタイ大先生ともあらうものが羞しい話だけれども、こゝに一大強敵があつてね、女房といふ傲慢無智な階級に対しては、なんとしても敵し難い。煮ても焼いても食へないといふのは、あの連中だ。物の理はもうあの連中の耳にはとゞかないんだね。いかなる悪漢も改悛の余地はある。しかし、女房はもはやない。だからタイタイ大先生はコン棒をぶらさげてエロ文学ボクメツに乗りこんでくる暴力団はまだしも怖れないけれども、女房はダメだ! たつた一人でも怖しい。敵しがたい。常に無慙に敗れ去り、いまだに勝つたこともなく、死に致るまで、勝つ見込みもない」
「よく分るのよ、先生。でも、先生は男でせう。どう間違つてもあんな化け猫になる筈ないから安心ですもの。私たちときたら、うつかりすると自分が化け猫になつちやうのですもの。私たち、さう自信があるわけでもないでせう、とてもなりさうな気がするのよ。その不安、嫌悪、憎悪といふのね、これも先生のお言葉よ、察してちやうだい。悪戦苦闘してゐるのよ」
「まことに同憂の至だ。時に先刻からお客が一向に現れないが、いつもカンサンかね」
「あんまりはやる方ぢやないわね。多い時でも十四五人かな。少い日は二三人。私は知らないけど、雨の日など、一人もない日があつたんですつて。四五日前に来た学生があつたのよ、お酒の店は高くつて毎日来ることができないから自分の行きつけの喫茶店へ住みかへろつてしつこく言ふのよ。ずいぶん自分勝手ね。文学の話なんかしてタイタイ先生をエロ作家だなんて言ふのですもの。自分の方がエロなのよ。するとその翌日高等学校の生徒がのんだくれてやつてきたのよ。この坊やはね、東大の試験にスベッちやつたのよ。「国文学史上に於て価値高き十名の作家をあげよ」とかなんとかいふ問題にね、現代に於てはタイタイ先生と書いたもんでダメだつたんですつてさ。無鉄砲な子ね。一緒に来た友達が無鉄砲すぎると云つたのよ。無鉄砲なんてわけが分らないんですつてさ。本当のことを書いたんだから、無鉄砲ぢやなからう、なんて
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