、そこで私が教へてあげたのよ。タイタイ先生は入学試験のときなんかに本当のことを書かないたちだつて。入学試験だの入社試験に本当のことなんか言はないものよ。だつて間に合へばいゝのですもの。間に合せのきかない時だけ本当のことを言ふのよ。相手次第で変化しろ、馬鹿の一つ覚えほど真実に遠いものはない、これはタイタイ大先生の言葉だと云つたら、とてもビックリしたわよ。自殺するのをやめたんですつて。田舎へ帰つてタイタイ先生に手紙を書くさうよ」
タイタイ先生は愛弟子《まなでし》の前で男を下げるのは残念だと思つたけれども、思ひきつてきくことにした。
「それで君、こんな店でも、お客がチップをおくのかね?」
これは決してマリマリ先生夫妻の心を察してきいたわけではない。男を下げてもかういふ下品な探偵根性をさらすには、まことにゲスな理由があつて、タイタイ先生はもうわが愛弟子がひどく可愛くなつてゐた。金の出所が気がゝりになつたのである。見下げ果てた心事であるが、十九の娘にそこまでは見抜かれまいと心得て、とりすましてゐる。
「君は八百円も持つてゐたさうだね」
「あら、ほんとは千三四百円あつたのよ。自分で使つちやつたのよ。始めはきまりが悪かつたけど、だつて、さうですもの、こつちで何もあげないのに、あら、ほんとよ、セップンぐらゐさせてあげないといけないのかと思つちやつて、マッカになつちやつたんですもの」
「あらまア、あのときは、それでマッカになつたのね」
「えゝ、まア、そんなものなのよ」
タイタイ先生は心中おだやかでない。思はず先生自らがマッカになりかけるのをゴマかすためにカストリをガブリとのみすぎて、むせてしまつた。
女といふ怪物は気を許すと小娘でもしてやられる。愛弟子などゝ甘く見てゐると、根本的に素性が違ふから、やにわにノサれてしまふのである。どつちが弟子だか分らない。
先生も手違ひに気がついたから、もう愛弟子などゝいふ甘つたれた見方はやめて、可愛いゝ女、と見ることにした。
「そのお客は若い人かい」
「四人ゐるのよ、私にチップをおいてく人はね。一人は、おぢいさん。一人は、やつぱり、おぢいさんだ。次の一人は、帽子屋だけど、これもおぢいさんね。みんな先生ぐらゐの年配ね。あら、先生、ごめんなさい。おぢいさんぢやなくつて、オヂサンだ。だけど、私は若い人よりオヂサンたちが好きなんですもの。それに酔つ払ひが好き。なぜなら酔つ払ひは怖くないもの。酔はない男はとても怖いわ」
「あら、あなたはそんなことを云つて、いつといゝ人をごまかしてゐるのね。ずるいわ。それもタイタイ先生の流儀?」
「まア、お待ちなさい。順に述べて行くのですから」
三十才のマダムよりは十九のマリマリ嬢がどうしてもウハ手なのである。つまりマダムは古風だ。世間の女の誰しもがこんな時にはこんな風に言ふといふ言葉しか言へない。マリマリ嬢は自分の流儀で喋りまくつてゐるだけの相違なのである。
「三人のオヂサンのほかに、もう一人チップを下さるお客様は、これがどうも、来てくれないかな、説明ができないのですもの。タイタイ先生に見ていたゞきたいわ」
「それなんだね。君がこれから余は恋をするであらうと言つてパパママに宣言したといふ対象は?」
「えゝ。でもその方一人ぢやないのよ。私、恋をするとき一人だけぢやイヤなんですもの。三四人、一緒にやりだすつもりなのよ。一人ぢや物足りないでせう。でもまだ今のところ、その方と、そのほかに一人。二人だけでせう。あと二三人手頃なのが揃つてから、やりだすのよ」
「大いによろしい。双手《もろて》をあげて賛成だな」
「さすがだなア、タイタイ大先生は!」
マリマリ嬢は胸のあたりをさぐつて、一服の薬の包みのやうなものをとりだした。
「時々くるお客さんがくれたのよ。神代から伝はる貴重な名薬ですつてさ」
「ほゝう」
「エモリの黒焼よ」
「エモリの黒焼か。これが」
「飲んでみる?」
「イヤイヤ。これは、たしか、飲むものではなかつた筈だ。何食はぬ顔で相手の後姿か何かへふりかける筈のものだ。惚れない人を惚れさせる薬だから、飲ませるチャンスはないのだよ」
「飲ませれば、尚きくでせう」
「四五人取揃へたあかつきに、これを飲ませるつもりかい」
「さうぢやなくつてよ。その一人一人から、私の方が飲ませてもらうのよ。なんとかならないかしら。今のところ、自信がないのですもの。先日、駅まで送らせて、手を握らせてみたのだけど、気持のわるいものなのね。なんとなく、うるさくなるばかりなんですもの。むかむかしちやつて、横ッ面をヒッパタきたくなつちやうのですもの」
「それでは、かへる」
タイタイ先生は立上つた。三百円づゝチップをふんぱつした。
先生はダメなのである。本性劣悪であるところへ、酔へば更に下劣だから、手を握らせて悦に
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