よひ、何処へ行くか。伝蔵は、悲しかつた。軍需工業の小さな工場を建てたいといふ男がある。伝蔵を口説き落して、金主にしようといふのである。三日に一度はやつて来て、事業の有望なことを説いて行く。その男が立去る。すると、又、有望な金鉱を見つけたといふ男がくる。いきなりトランクをあけて、鉱石をとりだしてみせ、分析表をひろげて説明しはじめる。五万分の一をひろげて、朱線を入れた区域を指し、隣村に、温泉もあります、と力瘤を入れて、つけくはへる。一度是非実地見分を願ひたい、と言ふのである。この男が立去る。すると地方新聞の社長がくる。金を貸してくれ、と言ふのである。南支で人魚を食つてきた話、満洲で狼と戦つた話、壮大な話に伝蔵を煙に巻いて、悠々と帰つて行く。すると、又――
 我、木石に非ず、である。入り代り立ち代り、亡者にかこまれ、亡者の熱弁をきゝ、機嫌よく、調子を合せる。調子は板についてゐる。我ながら巧妙に、拒絶の意を表明する。亡者も亦、甚だ好機嫌に帰つて行く。
 葉子が、来客の立去つたあとへ、現れる。なんの話でしたか、と言ふ。石炭の鉱区を買へといふ話さ、と伝蔵は答へる。葉子は、顔色を変へて、伝蔵の顔をぬすみ見るのである。まさか、御返事はなさいませんでしたでせうね。さうしてひとりごとゝもつかず、波子の結婚をきめてからにしていたゞきたいものですね、と言ふのだ。
 我、木石に非ず、であつた。あの鉱区を買へばよかつた。伝蔵は、ふと、思ふ。とにかく、実地に調べるだけは、調べてみればよかつた。……だが、それを顔色にも出しはしない。然し、葉子は、知つてゐる。どうせ、それぐらゐの所だらう、と呑みこんでゐるのである。一目見て、ゾッとするやうな眼付ですこと。きつと、油断のならない人ですわ。葉子は、さういふ言葉をつけ加へて、自分の不賛成を明にする。
 ひと思ひに……伝蔵は、時々、考へた。だが、いつも、勇気がなかつたのだ。さうして、常に、自信がなかつた。昔も自信は、なかつたのだ。けれども、昔は、色々のことをした。まるで、夢のやうである。今は、もう……瘋癲人としてすら、老いさらばひ、衰へきつてしまつた。
「今更、事業だの政治だの、齢を考へてごらんなさい」と、葉子は言ふ。「成功する人なら、とつくに名をなしてゐなければならない筈です。私は、平凡で、たくさん。今更、あなたに、名をなしていたゞいたり、財産をふやしてい
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