万葉集だの、徒然草だの、芭蕉だのといふものを耽読して、俄か隠居の生活をやりはじめ、紅葉狩だの寺詣だの名所遊歴といふやうなことに凝りはじめ、波子も、稀には、お供をした。女房子供をひきつれて、諸国の料理を食べ歩いてきたことなどもあつた。金のかゝることゝ言へば、書画骨董の類くらゐで、結婚して二十五年、はじめて安心したなどと、母の言ふのを、波子はきいた。
「山にみまかりし我子にさゝぐ」といふ歌があつて、開巻一番、
 さんま食ひてなれ思ふ秋もふけにけりわが泣く声に山もうごかん
 などゝ詠んでゐる。
 山はさけ海はあせなん、といふ名高い歌は、波子もかねて知つてゐたが、さんまを食つて泣き山をゆりうごかしてやらうといふ、実にどうも横着で、山の枯葉一枝ゆりうごかす実感も、なさゝうである。親父のやることは、風流まで、芝居もどきだ、と、波子は、これも、ばからしかつた。

       二

 死花を咲かせるなどと言ひだすやうになつてから、一時遠のいてゐた連中が、繁々と遊びにくるやうになつた。伝蔵も亦、頻りに外へでて、呑んでくる。
 昔の友達といへば、大概、郷里の陣笠だの、先祖代々の財産をどうやら土俵際で持ちこたへて東京へ亡命してくる連中で、そのほかに、院外団のやうなのや、年中カバンをぶらさげて歩いてゐる男、金銀を探して年百年中山又山を旅行する男、支那陶器の鑑定家、幇間《ほうかん》のやうなものもある。奇妙奇天烈な連中が、入りかはり立ちかはり、やつてくるのだ。
 ところが、この連中は、年中、用もないのに人を訪問してゐるものだから、ついでに娘の御機嫌などもとりつけてゐるものと見え、野暮かと思へば変通自在で、波子は内心この連中を軽蔑しながら、然し、この連中と話をするのが、決して不快ではないのであつた。
 中に一人、謡の半玄人《はんくろうと》で、ブローカーのやうなことをやつてゐる楠本といふ中老人がゐた。流石に謡の半玄人で、人品骨格、堂々たるものである。楠本にも年頃の娘があるさうで、宝塚のことだの、西洋映画のことだの、変にくわしく知つてゐる。訪ねてくると、必ず、波子の部屋へも顔出して、一席、御機嫌をうかゞふのである。
「どうでんね。ちかいうち、いちど宝塚の方へ、お供せんならんと思ふてんのやが」と言ふ。楠本は関西の生れである。「格子なき牢獄は、どうや。あれは、伴奏が、しんみりとして、却々《なかなか》、
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