友達と映画を見たり、劇場へでかけたり、好きなものを食べに行つたりして、それで充分に愉しかつたから、よその家族が一家そろつてピクニックだの芝居だのと出掛けて行くのを見聞しても、まつたく羨しいと思ふことがなかつた。けれども、それは、それで、愉しい筈だといふことも、決して疑つてはゐなかつた。
 それは波子が女学校を卒業した翌年の春であつたが、さうして、今から思へば、それが丁度伝蔵の風流三昧の最後の訣別になつたけれども、突然、一家三人で、関西へ食道楽の旅にでた。
 汽車の窓を早春の畑が走り、青々とした海原もひらけ、さうして、風が吹いてゐた。波子はそれを眺めて、綺麗な景色には、いつも、綺麗だと思ひながら、然し、この旅行のあひだ、一番はつきり眺めつゞけてきたものは、たゞ、蕭々《しょうしょう》と吹く風であつた。それは車窓を吹くばかりでなく、目をとぢれば、目と目のあひだ、又、物思ひと物思ひのあひだ、愁ひと愁ひのあひだをわけて、涯もなく、たゞ、吹いてゐる。西からきた風でもなく、南からきた風でもなかつた。たゞ、風。
 父と母、さうして、生れた家。――それは、波子にとつて、別々のものではなかつた。いつも、三つがひとつのもの。さうして、それだけが、ほかの世界と対立してゐた。さう考へたわけではなく、昔から、当然、さういふものであつた。
 然し、生れた家をでゝ、汽車の中で、すでに波子は、奇妙な現実にふと目覚めた。そこに、父はゐなかつた。たゞ、父とよばれる一人の知らない男と、母とよばれる一人の知らない女とがゐた。
 父が今、何を考へてゐるか、母は知らない。母が今、何を考へてゐるか、父は知らない。……さういふことが、なぜか、泌みるやうな切なさで、わけもなく考へられてくるのであつた。異体《えたい》の知れない他人同志が、今まで、何十年も、一緒にくらしてきてゐる――疑ふことのできない事実なのだ。さうして、いつか、自分といふ子供が生れ、これが又、子供とよばれる他人にすぎない。自分が今、このやうに考へてゐることすら、二人の他人は知らないではないか。……汽車は畑を走つてゐた。子供達が汽車に手をふり、叫んでゐる。波子は、突然立ち上つて、窓をあけて、蜜柑の網袋を子供達に投げてやつて「バンザイ」手をふつた。膝にのせてゐた雑誌が落ち、お茶がひつくりかへつた。
「気違ひのやうに。みつともない……」
 母とよぶ知らない女
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