るというワケではないし、名人がそうザラにいるとは考えられないのである。
 要するに、いつの時代のタクミにも名がなかったように、ナマ身のタクミに会うことなぞは考えずに、その名作のみを味うのがヒダのタクミの本質にそうことであろう。私はこう考えて、タクミに会う考えはやめにした。ただ、タクミの技術のことではなしに、ヒダの顔ということで、そういう顔の存在を今も知っているか、残っているか、どこにあるか、そんな心当りをきいてみたいと思った。一位彫り(ヒダの彫り物細工)のダルマの顔まで、いわゆるダルマの顔ではなくて、ヒダの顔なのである。ちょッと時代の古い物はみなそうだ。そういうヒダの顔について、彼らはそれを伝統的に無意識にやっているのか、モデルがあってのことか。そういう顔ばかりの聚落があれば面白かろうと考えたりしたが、それはあまりにもヒマの隠居好みのセンサクらしくもあるから、やめにしてしまったのである。
 私がヒダの顔をしたダルマを買った店の娘は、きき苦しいほど他の店の悪口を云うのであった。私が買い物をした他の店をヒダの名折れであるとか、その店のためにヒダの塗り物全体が汚名を蒙ってしまうというような聞くにたえぬ悪罵を、私がそれに耳を傾けるフリをすれば恐らく半日は喋りまくるかも知れない。そのくせ、彼女自身はヒダの名折れになるような下らぬ細工物や彫り物を売りつけようとするのであった。ゲテ物屋でも、他店の悪口を言いたてて倦むことを知らぬ店があった。そういう店に限ってくだらぬイミテーションを売りつけたがるのである。
 タクミの名作の口数の全くないのには似ざること甚大であるが、これもタクミの気質の一ツではあろうと私は思った。タクミの中にもヘタなタクミがタクサンいるし、名人の数にくらべてヘタなタクミの数が多いのも当り前の話であろう。ヘタなタクミの気質の一ツとして、やたらに他人の作品にケチをつけたがる気質があるのはフシギではない。ヒダのタクミが名人だけだと思うのは大マチガイであるし、その伝統をつぐ細工物や彫り物などの高山名物が今も芸術的であるかというと、決してそうではない。タクミの名作が名もないところに現存するということと、現在のミヤゲ物の芸術性とは、もはや関係がないようである。
 しかし、この国だけが一風変ってガンコな歴史を残している。庶流の大和朝廷をうけいれずにかなりの期間ただヒダ一国のみが
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