して遂に文明はきわまり、文壇の争論にも、法廷において理非を争うという新風に至ったらしい。一昔前のフランスでは、こういう時に武器をとって決闘するという蛮風が行われたものであるが、かゝる蛮風にくらべれば、新風のまさること、数千段である。
しかし、文士だの批評家というものは、自分の意見を文章によって公衆に示すことができるというまれな人種で、理非善悪をおのずから公衆の良識に判定せしめる手段に恵まれているのである。おまけに原稿料がはいるとはウソのような話さ。新聞の投書欄をごらんなさい。庶民というものは自分の立場を文章によって人に訴えるために何千人に一人という針の目をくゞらなければならないのである。
文章によって人の胸に良識に訴える職業の者が、文章上の理非の裁定を自らの文章によらずに法廷にもとめるぐらいなら、文章による職業をやめた方がよいと思うな。悲しい新風が現われたものである。
底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「読売新聞 第二六六五七号」読売新聞社
1951(昭和26)年3月5日
初出:「読売新聞 第二六六
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