悲しい新風
坂口安吾

 過去の文士の論争がどんな風に行われたかということについて私は不案内であるが、佐藤春夫、河盛好蔵両先生の大論争には新時代風があると思った。
 河盛先生の結論として、自分は法廷で理非を明かにするだけの決意をもっている。したがって、佐藤老よ、貴下の回答は重要なる証言になるものであるから慎重に答えてもらいたい、という挑戦の仕方は昔の文士の気がつかなかった新手法だろうと思うが、どんなものであろうか。
 国家と国家がゴタゴタして国連提訴ということをやる。昔の弱小国は近所の強国に泣きつく以外に手がなかったが、当節は国連という強力な組織ができてゴタゴタには提訴である。
 人権の擁護とか個人の自由はまもられなければならないという新憲法のおかげによって、文士は有無を言わさず発禁をくらい頭から大目玉をくらうことがなくなって、チャタレイ夫人は起訴、法廷で理非を争う。これ、即ち、新風だ。発禁や起訴に先立って、ワイセツであるか、ないか、代表的な識者に集りをねがって答申を乞う。河盛先生はそういう際に乞われて答申に応じる代表的な識者の一人ではなかったかと思う。
 こういう新風は結構である。そ
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