。緋奈子は机に頬杖をついて、今悲劇のあつたあたりの、もはやそれらしい痕跡もないひろびろとした砂浜から、遠い水平線の方を眺めてゐたやうです。やがて、ぼんやり天井を睨んでゐる私の傍へ、気の抜けた形で近づいて来たのですが、まもなく私の胸に顔を伏せて泣きはぢめたのです。
「あたしを放さないでね。あたしを愛してね。あたしは淋しいの。いつもいつもあたしを放さないでゐてね……」
その一日、緋奈子は私の胸の中に泣いてゐました。私は身動きもしなかつたのです。どうせ[#「どうせ」に傍点]ほかのことを考へてゐますので、別にウルサイとも思はなかつたものですから、私は緋奈子の影を抱きしめてゐる白日の幻を見てゐたのです。――黄昏、緋奈子に誘はれて、少年の家へ弔問に行きました。また後日には、その零れたやうな葬列も、松林の間にチラチラと隠れて行つてしまふまで、見送つたのです。そしてあの黄昏から、私は俄かに外出する男と成つたのです。意味もなく、別に感慨もなく、ただ成行のままにです。
出て見れば、外もしかし、やはり同じ退屈な場所にすぎなかつたのです。緋奈子が、同じウルサイ存在に変りのなかつたのと同じやうに……。いはば
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