している。誰も消火に手伝う者はいなかった。
ねむくなったと女が言い、私疲れたのとか、足が痛いのとか、目も痛いのとかの呟きのうち三つに一つぐらいは私ねむりたいの、と言った。ねむるがいいさ、と伊沢は女を蒲団にくるんでやり、煙草に火をつけた。何本目かの煙草を吸っているうちに、遠く彼方に解除の警報がなり、数人の巡査が麦畑の中を歩いて解除を知らせていた。彼等の声は一様につぶれ、人間の声のようではなかった。蒲田署管内の者は矢口国民学校が焼け残ったから集れ、とふれている。人々が畑の畝《うね》から起き上り、国道へ下りた。国道は再び人の波だった。然し、伊沢は動かなかった。彼の前にも巡査がきた。
「その人は何かね。怪我をしたのかね」
「いいえ、疲れて、ねているのです」
「矢口国民学校を知っているかね」
「ええ、一休みして、あとから行きます」
「勇気をだしたまえ。これしきのことに」
巡査の声はもう続かなかった。巡査の姿は消え去り、雑木林の中にはとうとう二人の人間だけが残された。二人の人間だけが――けれども女は矢張りただ一つの肉塊にすぎないではないか。女はぐっすりねむっていた。凡《すべ》ての人々が今焼跡の
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