ってもらうために依頼した百万円だということが分った。オツネの言葉によっても奥さんがゆすりにお金をやった様子はなく、そのアベコベに拒絶したのだから、おそらくそういう性質の金なのだろう。
 あとの家族は息子の浩之介だが、彼は門に接続した門番小屋のようなところを事務所兼用にして寝泊りしているのである。彼の営業は高利貸しであった。熱海の大火の折に母からもらっていた山林を売って高利貸しをはじめ、その当時はかなりの好調であったらしいが、今では成績不振らしくビッコひきひき駈けずり廻っているだけで落ち目になると焦りがでて借り手にしてやられるようなことになりがちでいけなくなる一方であるらしい。使用人も居つかなくなり、中学をでて夜学へ通っている小僧が一人いるだけだった。事務所を訪ねてみると、帳簿のほかには探偵小説ばかりが並んでいる。ビッコのせいかブルジョアの息子のようなオットリしたところもない。
「ずいぶん探偵小説をお持ちですね」
「愛読書です」
「昨夜の十時半ごろですが、ある男が母堂を窓の外からゆすっていたというのですよ。母堂が答えて云われるにはもう一千万円もゆすったあげくまだゆするとはあつかましい。もう名誉もいらないのだからみんなに秘密を云いたてるがよい。ビタ一文もだしませんとね。すると窓の外の男がいまに後悔しますよと云って立ち去ったそうです」
「そんなことを母が云ったんですか」
「いいえ、偶然きいた人がいるのです」
「そうでしょうな。人が邸内で変死した当日にそんなことがあったと自分で云う人間がいたらおかしいです。またそんなことのあった直後に人を殺すのもおかしいでしょう。ましてゆすられてるのを人にきかれているのにね」
「探偵小説の常識というわけですか」
「まアそうです。母も探偵小説はかなり読んでる方ですよ」
「あなたはへんな男が門を通るのを見かけなかったのですか」
「ぼくは九時ごろからパチンコやって、その時刻ごろにはウドン屋でウドンを食べていましたね。この小僧君が小田原の夜学から戻った十一時ごろ偶然道で一しょになって帰ってきたのです。あなたはぼくがそのゆすりだと仰有りたいのかも知れないが、あの母から一千万円もゆすれる腕があれば高利貸しで失敗なぞするはずありませんよ」
「すると母堂からゆするには高利貸し以上の腕が必要だと仰有るわけですね」
「まアそうです。どんな秘密か知りませんが、その秘密をつきとめる以外には手がないと思いますよ。もっともその秘密が軽々しく判明するぐらいならゆすりも成立しないわけですね。特に母の口からはきくことができますまい」
 辻はそのとき本邸の応接間にいくつかの能面が飾られていたのを見たことを思いだした。その中には鬼女の面もあったように思った。鬼女の面とはどういう形のものか実は彼はよく知らないのである。
「お宅には鬼女の能面がいくつもあるのですか」
「そうですね。能面はたくさんありますよ。ウチでは父も母も仕舞い狂ですから能面は実用品です。日本で最優秀というべき面もいくつかあるはずです。鬼女の面も三ツや四ツはあるでしょうね」
「焼死体のあった部屋にも鬼女の面があったそうですね」
「あの別館には高価なものはおかないはずですが、何かそのような物があったかも知れません」
 そこへ来客があったので辻は辞去したが、反対側の長屋に住んでいる爺やのところへ立ちよってアリバイをただしてみると、
「私は九時から十二時まで八百屋で将棋をさしていましたよ。ゆうべのことだから八百常にきいてごらんなさい」
 八百常にただしてみるとこのアリバイはハッキリしている。八百常の家族も口をそろえて云うのだからまちがいなかった。辻は支社へ戻ると東京へ電話して今井という人物について調査を依頼し、次のような意味の原稿を送った。
 はじめこの事件は過失死か自殺と見られたが、オツネの証言によって乃田夫人がすでに何者かに一千万円ゆすられ、また当夜十時半にも窓を叩いて訪れたゆすりを拒絶している事実が分った。この窓を叩いた何者かが殺人した疑いが濃厚となった。大川は女アンマに肩をもませるにも鬼女の能面をかぶらせるぐらい小心で用心深い男だから、オツネが夫人の部屋にいることを知りながら起きだしてゆすりに行くのはおかしいし、彼がタヌキ寝入りでなかったことはオツネがアンマの感覚と経験によってまちがいないと証言している。オツネは大川の熟睡を見とどけ能面を卓上におき鍵をかけずに立ち去っている。しかるに二ツのドアの鍵が一ツは外側一ツは内側からかけられているのは何者かが犯行ののちまず廊下にでるドアを内から鍵をかけて隣室へでてこのドアを外側から鍵をかけて逃げ去ったことを意味している。洋室のドアは女中たちが平素かけない習慣になっているので他の何者かがかけたことは明かだ。しかも隣室との間のドアは隣室の方からかけられているので死者の仕業でないことが証明できるのである。乃田夫人をゆすっていた男については明確にアリバイのあるのは庭番の爺やだけで、浩之介にはない。また常に大川と同行して泊っていた今井という人物は隣室のフトンにねることを予定して女中たちが用意しておいたものでこの人物のアリバイについても疑惑をもたれている。複雑な怪事件に発展する見透しが強くなった。ただカバンの百万円が奪われていない点について一応の疑惑はあるが、それは盗むヒマがないような突発事が起ったことを想像するより仕方がない。
 こういう意味の記事を全国版地方版ともに写真入りで書きたてた。警察も他社も過失死と見てオツネに一応きいてみることも忘れていたから、この記事におどろいて本格的な調査がはじまったのである。

        *

 翌日任意出頭の形で熱海署に現れた今井は一昨夜は九時から十一時まで新宿で酒をのんで十二時前に帰宅していると述べた。
「今朝新聞でよんで知ったのですが、大川さんはゆすりではありませんね。むしろ金を貸していたのです。六七百万は奥さんに貸していたでしょう。奥さんは株に手をだして近ごろでは大損の連続で、もう売る物もつきかけていたようですよ。ちょッとした鉱物のでる山が残っていまして、これが貧鉱なんですが、それをぼくに売ってくれとの頼みで、なかなか買い手がウンと云わなかったのですが矢の催促です。これをどうやら千八百万で契約ができて半金だけ現金払いあとは三月後の手形ということで一週間ほど前にそこの社員とぼくが当家へきてとりあえず九百万の現金を渡して正式に契約書を取り交しました。そのとき奥さんにもう株をやってはいけませんとくれぐれも念を押して、また大川さんからの借金も払ってあげて下さいとおたのみしておいたのです。大川さんが一人で熱海へ見えられたのはそれを受けとるためで、私が保証人になっていた借用証も持って行かれました。そのタンポはこの豪華な屋敷ですから、これを元利六七百万で人手に渡すバカな話はないのです。ぼくはその前からちょッと怒っていましてね。それというのが奥さんがぼくに半年以上も交渉させて何度か現地まで人を案内しているのにその実費以外にお礼にくれたのがなんと五万円ですよ。思ったよりも売値がわるかったので怒った気持は分らぬこともありませんがこのデフレ時代でしょう。そういうわけで腹をたてていましたからぼくは大川さんと同行はしませんでした。人が借金を返してもらうのに同行してもはじまりませんからね。そういうわけで、あの奥さんの流儀で借金とりもゆすりというなら、これもゆすりかも知れませんが、大川さんは人をゆするような人ではないのです」
 彼の証言は意外なものであった。
「他に誰かゆすっていたような様子はありませんでしたか」
「そうですね。株ですった金だけでも何億でしょうから一千万ぐらいは右から左へどうにかなってもハタから分りゃしませんね。ゆすられるような秘密は他人には知ることができないからゆすりの種にもなるわけで、そういう私生活の方面のことは見当がつきませんね」
「息子の浩之介という人はどれぐらいの資金をもらったのですか」
「ちょッとした山林ですよ。時期がよかったからすぐ二三千万の金になったようですが、高利貸しをはじめてからはたちまちダメになる一方でしたね」
「乃田家の財産は現在どのぐらいあるのですか」
「今ではスッカラカンですよ。今度売れた千八百万のほかにはその半分も値のなさそうなのが一ツ二ツで、あとはあの家屋敷だけです。むしろ骨董品にいくらかあるかも知れませんが、実はめぼしい物はもう大方売ってしまったようです。その方にはぼくらはタッチしませんから知りません」
 今井の言葉はまるで犯人が乃田家の者だときめてるような口ぶりであった。あげくには、
「大川さんの奥さんがいま熱海におられるというお話でしたから、大川さんの熱海旅行の目的等についてきいてごらんなさい」
 そこで大川夫人にききただしてみると、この旅行は株券を買うためではなくて借金を返してもらう目的であったということがハッキリした。
「家屋敷の抵当があることですから借金返済を催促したようなこともなかったのですが、また、むしろそんなわけですから百万円だけうけとるわけがないように思えましてね。奇妙なことだと思っておりましたのです」
「御主人は今井さんとずッと懇意にしておられたのですか」
「今ではお勤め先もちがっておりますし年齢のひらきもありますので、乃田さま以外のことではあまり交渉もなかったようです」
 ところが東京からの報告によると今井の申し立てたアリバイはきわめてアイマイだ。新宿の飲み屋でもそういう常連はなく心当りがないような話で、彼の申立てを証明したのは女房だけだ。夜中の十二時ごろ戻ってきてそのまま正体なく翌朝おそくまで寝こんでいたというだけだ。
 翌る朝刊の辻の記事では浩之介も今井もそれぞれアリバイが不明確でその裏附け捜査が行われている、ということが伝えられていたが、また浩之介と奥さんの共犯の線もでていると書かれていた。たのみになるのがメクラ一人の証言だから特ダネを握って颯爽と出発した辻も早くも捜査難航、キメ手がないと訴えている有様であった。

        *

 奥さんがゆすりのこととなると相変らず断然ゆすられた覚えがない、それはメクラの空耳だと言いはるものだから、オツネはやるせない思いで暮さなければならなかった。
「これもみんな辻さんの罪ですよ」
 と恨むものだから、辻もせつない。
「いまに真相をつかんで君の顔をたててやるからな」
 と云ってはいるが心はうかない。本社からはこの特種を生かすために応援の記者を送ってよこしたが、こうなると支社と本社の記者同士で功名を争う気持になるから、面子にかけてもという気魄だけが悲愴になりすぎて毎日酒をのまずにいられない気持だ。
 今井については本社で東京を洗っていて依然アリバイは不明確だが、熱海でその時刻前後に彼を見たという積極的なものがでてこないからどうすることもできないのだ。焼跡からは彼の遺留品もでてこなかったが、とにかく当夜大川が大金をうけとっていることを知っていたのは今井だ。ところが乃田家の金庫を調べてみると現金が、二百五十万ほどと、鉱山を売買した翌日の預金が五百万、焼けたのを合わせて八百五十万ほどだ。九百万のうちこれだけ残っているのだから、今井の犯行にしては奇妙である。むしろ大川の借金取り立てが不成立に終ったと見なければならぬ。
 すると窓の外から戸をたたいてゆすっていたのは大川当人であったかも知れない。その場合に犯人は奥さんであり、あるいは浩之介共犯説も考えられるわけだ。
 するとある日、浩之介に使われていた夜学生の小僧が辻を訪ねてきて、
「辻さん。ぼくは薄気味わるくってあのウチを逃げだしたんですがね。ぼくの話が役に立ったら就職世話してくれますか」
「新聞社というわけにはいかないかも知れないが、役に立つ話なら今の何倍もいい会社なり商店へ世話するぜ。どんな話だ」
「ゆうべのことなんですよ。夜中の十二時なんです。庭番の爺さんがそっと庭の方へでて行く姿を見たから、怖い物見たさでぼくそッとつけたんですよ。するとね、ぐ
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング