い。小僧に見られたことに気がついていたのだ。奥さんにはとうとう対面できなかったが、女中さんに伝言して返答をきいてもらうと、たしかに退職手当二百万円やりました。永年の勤続ですから、と爺さんと同じような返事であった。深夜に窓を叩いて金を渡しても退職手当ですかときいてもらうと、たしかに退職手当ですと返事があって、それ以上はノーコメントであった。
 辻はアンマ宿へ自動車を走らせてオツネサンをさらうように押しこんで爺さんの家へ運んできた。
「オツネサン、この声に聞き覚えがないかい。爺さんと話をしてよく聞きわけておくれ」
「アハハ。私はね、あの晩は九時から十二時まで八百常で将棋をさしてましたよ。オツネサンの聞き覚えのはずがないよ」
 オツネはせつなげにションボリ頭をふって、
「低くってただ一言のききとれないような声だからね。もう無理ですよ」
「そう、そう。まさに、その通り、オツネサンのきいた男は何と云ったね」
「いまに後悔しますよ、と云うんだけど」
「では私がそれをやってお目にかけよう。低い声で、いまに後悔しますよ、とね」
 オツネサンは頭をふってみせた。無理だ、わからないという意味だ。辻はジダン
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