証文を渡さなかったのをよいことに、借りた覚えはないといって返却せずもともと自分の物だと主張するようになったり、隣りの畑の境界の垣を一寸二寸ずつ動かして目に余るひろげ方をして訴訟になるという類いで、親友でも隣人でも隙さえあれば裏切る。証文とか垣根とか具体的なものが何より必要なのは農村なので、実際はこれほど物質化されている精神はなく、実にただもう徹頭徹尾己れの損得観念だけだ。そのくせそれを自覚せず、自分達は非常に愛他的な献身的な精神的な生き方をしており、いつもただ人のために損をし、人に虐められるばかりだと思いこんでいる。
伊太利喜劇というものがあって、これは日本のにわかのように登場人物も話の筋もあらかたきまったもので、例のピエロだのパンタロンのでてくる芝居だ。可愛い女の子がコロンビーヌ。意地わるの男がアルカンなどときまっていて、ピエロはコロンビーヌにベタ惚れなのだがふられ通しで、色恋に限らず、何でもやることがドジで星のめぐり合せが悪くて、年百年中わが身の運命のつたなさを嘆いているのである。ところが舶来《はくらい》の芝居は情け容赦《ようしゃ》がないもので、日本の勧善懲悪《かんぜんちょうあく
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