うにここでも採用してもらえたことはグズ弁というアダ名だけであったといってよかろう。
 彼のその運送会社では戦前からの古い運転手で、現業員の中では一番の古顔でもあるし上役でもあった。ここの現業員は会社からの固定収入のほかにも出先きでのミイリがあったから、上役の彼はその服装のヤミ屋然たる割に、ヤミ屋よりも収入があった。したがって身の上話が人々に信用されない理由もそこにあったのである。
 彼の服装が粗略であるばかりでなく、むさ苦しくすらもあったのは、三年前に女房を失ったせいだ。長女が中学校を卒業して家事をやってくれるが、その下の弟妹が三人もあるのでこの若年の無料家政婦は父の身の廻りのことにまでは注意が至らない。それにミヤ子を知って以来、グズ弁の生活はガラリと一変して、家を明けることが多く、子供たちがようやく生きてゆける程度にしか生活費を渡さなかった。そのために彼と長女とはやや冷戦ぎみの関係にあった。
 すべてこれらのことは彼がふじの家(それが飲み屋の名)に於て人々に打ちあけた事実であったが、誰も信用する者がなかっただけの話なのである。
 グズ弁といえども、ふじの家のようなフンイキのところで、素性をみんなさらけて見せることが適当でないとは知っていたが、ミヤ子と結婚したい一念で実は熱心に真実を打ち開けた。なぜなら女というものは泥棒だか人殺しだか分らぬような男とよりは、人に素性の語り明かせる男と結婚したがるのが当然だと考えたせいだ。
 だが、男の素性など問題にする必要のない女がいるものだ。そしてミヤ子がそういう女であるということが、やがてグズ弁にも分ってきた。ミヤ子がグズ弁に身体を許したのは結婚のためではなくて、金のためだ。ミヤ子は金のない男を相手にしなかった。
 何人かの情夫を目の前において、その一夜の恋人の役を当日の所持金の額で定めるのは日常のことであった。むろん、あからさまに所持金くらべをやるわけではないが、それとなくフトコロを当った上で、
「あなたは今晩帰ってね」
 という風にささやく。結局はあからさまに所持金くらべをしたことと同じであるが、情夫たちはそれに従わざるを得ないような習慣が、彼女の手腕によって、自然生れてしまうのである。甚だしい時には、古顔がみんな追ッ払われて、その晩はじめての新顔が残されることもある。この新顔が自分だけ色男だと思い上ることのできるのは、その晩だけで、次の機会に事情が分ると、たいがいそれで再び姿を見せなくなってしまう。
 むろんサヤ当てもある。しかし孤島の女王がこうハッキリ金銭で取引きすることを明示しておけば、それは公娼の場合と同じようなもので、事実古顔同士の場合には、公娼におけるマワシのような事実が平穏裡に行われることも珍しいことではなかったのである。
 こういう女と知りながら、結婚の初志をひるがえさぬ男がいるのは変った例ではない。恋愛とは、そういうものだ。むしろこのような恋愛の方が真剣であろう。すくなくとも、グズ弁は真剣であった。
 多くの情夫が現れては去ったが、最後まで変らずに残ったのは、グズ弁と右平であった。自ら右平と名乗るけれども、たぶん本名ではないだろう。酔っ払うと、わざと、
「ウヘエ!」
 と云って、テーブルへ両手をついて平伏してみせたりする。そういう声のつぶれたところや、身のコナシがテキ屋とかそれに類する経歴を匂わせていたが、現在の職業はそれらしくはないし、また定かでない。
 しかし、金廻りが大そう良かった。それでたぶん九〇パーセント泥棒という定説を得ていたのである。
 この店へくる常連の全部は一度はミヤ子と関係のあった男であるが、一夜の浮気ということで終りをつげて、しかもその一夜は今後に於ても望む時に時々ありうるということで、結局その方が気楽だという常連もあれば、このネエチャンは金がなくてはダメなんだと自然に諦めてしまった者もあり、それらのやや冷静な男たちから見ると、グズ弁と右平の冷静を欠いた対立は、どちらかが一方を殺さなければおさまりそうもないところまで来ているように思われたのである。つまりこの二人がミヤ子を独占したいという気持はヨソ目にもそれだけ強烈なものが見えたのである。
 やや冷静な常連の中には、どうもミヤ公の情夫は二人のほかにホンモノがいるんじゃないかな、と思いつく者もあった。
 ミヤ公はこの店の女中にすぎない。店の主人は引揚者の夫婦で、この商売に経験もなく、また内心好感をもたないどころか嫌悪の念さえいだいていながら、暮しのために仕方なしにやってるような様子があった。主人夫婦はまったくお客に背を向けて、店のことはミヤ子にまかせッぱなしのような様子でもあった。
 ミヤ子は店に寝泊りして、自分の部屋へ平気でお客を泊めた。しかし、午《ひる》すぎにどこへか外出してくることが多く、それ
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