は早めに店へ現れる常連が自然に気附くことであった。
「ミヤ公に情夫がいるね」
と主人夫婦にきいても、
「知るもんですか、あの子のことなんか」
という返事で、ミヤ子の私行についてのみならず、その相手のお客全部についても敵意をいだいているような様子であった。
この夫婦はみだりに敵に顔を見せてムダな話の一ツもしなければならないハメになることを極度にさけて、もっぱら裏面に於てミヤ子をつついて、冷酷ムザンに敵から金をまきあげることだけ考えているらしかった。
グズ弁だけがこの夫婦からいくらか人間扱いをうけていた。
それはグズ弁が彼の休日に(それは日曜日ではない)昼からこの店へ遊びにきて、それがおおむねミヤ子の外出中に当っており、自然に主人夫婦と話をかわすようなことが重ったからでもあるし、まアなんとなく主人夫婦に虫が好かれたと云った方がよいのかも知れぬ。
もっとも決して親友あつかいを受けはしなかったし、信用を博したわけでもない。仇敵や泥棒、人殺しよりは一ケタぐらい上の方の親しみだけは見せてもらえたという程度であった。
その結果として、グズ弁には、他の常連よりも深い真相がわかってきた。
彼はグズ弁とよばれているが、世間並にグズだと思ったら、彼にしてやられるであろう。彼はなるほど目から鼻へぬけるようなところはない。そして、そういう人々にバカにされ易いタイプであった。
たとえば彼が兵隊生活をしていたとき、目から鼻へぬけるような人物でも官給品の盗難にあう。するとそれを補充するために目をつけるのはグズ弁の所持品で、つまり人々はグズ弁とはしょッちゅう目から鼻へぬける人々のギセイになっている哀れな存在のように思いこんでいるのであった。
しかし、実際はグズ弁がギセイになることはめッたにない。なぜなら、彼自身がそういうハメになり易いことを生れながらに知っていて自然に防ごうと努めている強烈な本能があるからで、そのオドオドした本能のために一そうグズに見えたけれども、その本能と用心があるために、実際に被害をうけることは殆どなかったし、また被害をうけた場合には、誰一人知らないうちにそれを補充して何食わぬ顔をしている天分があった。誰もその天分を知らなかった。なぜなら、そういうことのできないグズだと思いこんでいたからである。彼はグズだと思われ易いことを活用する本能すらも持っていた。
それ
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