策よりもそういう態度の方が政治であり、政党の党主の資格であり、総理大臣的であった。総理大臣が六尺もあってデップリ堂々としていると、六尺の中に政治がギッシリつまっているように考える。六尺のデップリだけでも、そうであるから、公爵などゝなると、もっと深遠幽玄になる。
 ヨーロッパでも、サロンなどゝいう有閑婦人の客間では、やっぱり、こういう態度が物を言う。昔はヨーロッパでも同じことで、サロンが政治につながっていたころは、日本と同じようなものでもあったが、だいたい、こういう態度、育ちの気品というようなものが、女の魅力をひく、それぐらいなら、何も文句はない。天下の美女がみんな惚れても、我々がヤキモチをやくのはアサハカで、惚れるものは仕方がない。
 然し、一国の運命をつかさどる政治というものが、サロンの御婦人の御気分なみでは、こまるのである。
 自分の恋する人を、天下特別の人、自分の子供は特別の子供、なんでも、人間の群をぬいて神格視したがるのが、これが、そもそも御婦人の流儀で、アナタ負けちゃアいけないよ、しっかりしてちょうだい、日本一になるんですよ、などゝ、たゞもう亭主をたきつけ、自分は又亭主を日本
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